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欲望について

平成14年1月1日記

短大で哲学を教えるようになって十年以上になります。「豊かさについて」というテーマを講義の一環として話しています。(生活の)豊かさ=ゆとり=自由=平等であり、その社会に実現されている平等さの程度が高ければ高いほど、より豊かな生活と言えると示されています。

物心両面とも豊かさの鍵は「自由」にあると言えそうです。お釈迦様も自由にやりなさいと言われます。お釈迦様の死期が迫り、弟子の阿難尊者の求めに応じ、自らの亡き後は、「自己と法をよりどころとして」生きていきなさい、と述べられます。「自由」とは、「自らに由る」ということですから、私はこのお釈迦様の教えを「自由にやりなさい」ということだと理解しています。

さて、自由に生きるについて最重要のお釈迦様の教えとは何でしょうか。やはり、欲望の抑制についてのものだと思います。自由は自分が好き勝手にできることです。しかし、これはあらゆる人々について平等に言えることです。つまり、自分が好き勝手に振る舞うことによって他人の好き勝手に振る舞うことを妨げてはならないということです。

お釈迦様は言われます。

田畑、宅地、黄金、牛や馬、奴婢、雇い人、女性、親族、その他いろいろな欲望に執着している人は、その欲望にふりまわされ、危難に踏みにじられる。すると難破船に水が浸入するように、その人に苦がつきまとう。だからこそ、人は常に正しい念いを保ち、欲望を避けるべきである。船のたまり水をかいだすように欲望を捨て、流れを渡って彼岸に到るがよい。(『スッタニパータ』七六六〜七七一)

貪り、怒りや憎しみは自己が原因である。好き嫌いと身の毛もよだつ恐怖とは自己から生ずる。もろもろの妄想は自己から起こり、(あてもなく)心をうろつかせる。…それらは愛欲から生じ、自己から育つ。(『スッタニパータ』二七一〜二七二)

まことに欲望は色とりどりに美しく、甘美で、心に楽しい。種々のかたちをとって(現れ)、心を撹乱する。(『スッタニパータ』五〇)

だからこそ、でき得る限りの強固な決心を持ち、挫けそうになったら、あるいは挫けてしまっても、あきらめず何度でもまた決心を新たにして、欲望に振り回されないように気を付けていかねばならないのだと思います。

ここで注意していただきたいのは、欲望は決して悪いものではないということです。欲望がなければ、進歩はありませんし、生きる意欲さえなくなってしまうことになるからです。問題は、欲望に支配され、翻弄されてしまうことです。お釈迦様は、欲望を全くなくしてしまえとか、ゼロにしろとかとは言われません。欲望を自分の自由にコントロールしろと言われるのです。

大切なのは、自分を深く見つめ、自分に振り回されず、自分を自分の自由にコントロールすること、できることだと思います。日々正しく学び、自由に生きて参りたいものです。

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