平成21年8月1日記
今年もすでに7か月が過ぎ去りました。今年は「もう」5か月しかありません。あるいは「まだ」5か月もあると言うべきでしょうか?「もう」も「まだ」も、英語ではいずれも「yet」で表現します。視点の違いに過ぎず、実質的には変わりがないということなのでしょう。
しかし、視点の違いは生き方の違いになります。道元禅師はこのように言われます。
学人は必ズしも死ぬベキ事を思フベシ。(『正法眼蔵随聞記』三)
仏教者は、人間の死亡率は100%だということをよく考えなさい、というのです。当たり前のはずですが、反応は人それぞれ、笑う人、当たり前だという人、ムッとする人、さまざまです。
余命1、2年と宣告された方の貴重な記録を拝見することができました。NHKの番組「ドキュメンタリー あと数か月の日々を…」です。内容は、昨年7月10日に亡くなられた戸塚洋二さんのガン闘病記です。
戸塚さんは理論上は質量を持たないとされていたニュートリノに質量があることを実験によって証明した実験物理学者で、ノーベル賞の受賞も期待されていました。自宅で療養生活をはじめられた戸塚さんは、自分のガンの状況を詳細に観察し、2007年8月4日にブログを開設して、そのデータを公開しはじめます。「まるで人ごとのように記録をつけていますが、研究者として一生を送って来た者の悲しい性です」と記しておられます。
ブログの「人生」と題されたカテゴリーには、精神的な苦悩も綴られています。
末期がん患者の身、あと何カ月彼らを見守れるかわかりません。何年か先の彼ら家族を見物できないのは痛恨の極みです。(2007年10月28日)
布団の中に入って眠りに着く前、突如、自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、ということに気づき、慄然とすることがあります。(2008年2月10日)
充実した時間を過ごす方法について、戸塚さんはこのように記しておられます。
私の「努力」は、見る、読む、聞く、書くに今までよりももう少し注意を注ぐ、見るときはちょっと凝視する、読むときは少し遅く読む、聞くときはもう少し注意を向ける、書くときはよい文章になるように、と言う意味です。これで案外時間がつぶれ、「恐れ」を排除することができます。
余命を3か月ほどに区切って、「まだ」生きられる、「もう」3か月を生き延びられた、と生と死に向き合い、感謝しながら見事に生き抜かれた、と私は感じました。ご冥福をお祈りいたします。