← 法話一覧に戻る

心に正直に

平成24年7月18日記

お蔭様で私はものを盗まれたという経験がありません。

自分でいうのも妙ですが、用心深い性格が幸いしているのかもしれません。ところが、家人は傘を何度も盗られたといいます。これまでは聞き流していましたが、目 の当たりにして驚きました。

ある雨の日、店で買い物を終えて出てくると、スタンドに立てておいた家人の傘がありません。水色の水玉模様のビニール傘で、安物なのですが、末の娘が何年も使ってきたお上がりだといいます。ちょうど雨脚が激しくなっていましたし、安物だから拝借しやすかったのかもしれません。しかし、それは身勝手な論理であり、許されるはずもありません。

「自分の心に正直に生きることが大切だ」という人生訓を目にすることが度々あります。これに正直に従えば、「雨に濡れたくないという自分の心に正直に傘を盗むことが大切だ」ということになります。

他人に迷惑をかけない範囲で、という限定が当然つくのだ、と世間一般ではいうでしょう。しかし、万引きで廃業に追い込まれるコンビニすらあるといいます。こちらの方が世間一般なのではないでしょうか。

そもそも「心」の正体を知っていてこのような人生訓を垂れているのでしょうか?

人は快楽を望み不快をさけます。それは、「心」がそうさせるのです。

35、心は、捉えがた難く、 軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。

36、心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。

快楽を求め、不快を避け「欲するがままにおもむく」のが「心」の本性であり、それは欲望です。欲望を好き勝手にさせれば、どうなるか、その結果は明らかです。欲望は充足されたとしてもいっときで、また新たなる対象を得て、うごめきはじめます。

現代経済学の前提のひとつは、「欲望の非飽和性」つまり欲望にはきりがないということです。権威ある経済学にもお墨付きをもらった欲望はその本領を存分に発揮しています。物欲、性欲、権力欲、名誉欲など、放っておけばどんどん増殖し、膨張を続け、ついには破裂してしまいます。

たいていの人はどこかで何とか歯止めをかけていますが、生活が破壊され、最悪、自殺に追い込まれ、犯罪に行き着いてしまうこともなしとはしません。多重債務、自己破産、いじめ、万引き、窃盗、強盗、恐喝、強姦、殺人、詐欺、横領、背任、贈収賄等々の事件の記事が新聞やテレビ、ネットにおどり、どす暗い欲望の渦巻く世間の現実を突きつけます。

欲望が犯罪にまで結びつくのは、「苦」を極端に恐れるからでしょう。欲望が満たされない、というのは、思いどおりにいかないということであり、それを仏教では「ドゥッカ」といい、「苦」と翻訳しています。

188、人々は恐怖にかられて、山々、林、園 樹木、霊樹など多くのものにたよろうとする。

189、しかしこれは安らかなよりどころではない。これは最上のよりどころではない。それらのよりどころによってはあらゆる苦悩から免れることはできない。

よく知らないものを人は恐れます。よく知らないが故に「苦」そのものである現実を恐れ、恐ろしいが故に眼をそむける、といった悪循環に陥っています。そのためわけもわからず、快楽という悪魔によって引き起こされる「苦」の恐怖から逃れるために、その悪魔をよりどころとし、頼ろうとします。結局は快楽という悪魔に絡め取られ、もがき苦しんでいるのが私たちの現実の姿です。

現実をしっかりと見すえなさい、と釈尊はくり返し説きます。

170、世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。

171、さあ、この世の中を見よ。王者の車のように美麗である。愚者はそこに耽溺するが、心ある人はそれに執着しない。

美しいこの世もしょせんは、泡沫のごとく、かげろうの如しと見て、執着してはならないのです。

「英知ある人」は「心を守る」人であり、「心をおさめる」人です。大切なことは「自分の心に正直になる」ことではなく、自分の心を制御することです。快楽は色とりどりで魅惑的であり、心を楽しませてくれます。しかし、心を攪乱し、「苦」の原因となるのです。

濡れずに気持ちよく家に帰れる、という快楽にしたがってビニール傘を盗んだ人は、心が波立ち攪乱されているはずです。苦しみの声を上げている心にこそ耳を傾け、正直に生きることが大切です。

(引用した経文はすべて『ダンマパダ』(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』)からです)

← 法話一覧に戻る