平成22年1月1日記
昨年10月4日に当山開基新発田藩祖溝口秀勝公四百回忌を修行いたしました。溝口家ご当主隆雄様はじめ、来賓・随喜寺院・檀信徒・一般市民、約200名の方々にご参拝ご焼香たまわり、盛大に勤めることができて胸をなで下ろしております。
法要後の荻野正博先生による記念講演「藩祖溝口秀勝公について」には教えられ、触発されました。
秀勝公は、尾張の中嶋郡溝口村の地侍、溝口勝政の長子として生をうけ、織田信長の重臣丹羽長秀に仕え、長秀の出世とともに自らも出世していかれます。若狭国高浜城主として五千石の与力大名となられ、後、豊臣秀吉に就いた長秀に従い、柴田勝家の討伐にあたって大きな手柄を立てられます。これによって、加賀国大聖寺城主として四万四千石を与えられ、秀吉直属の独立大名となりました。そして、慶長3年(1598)には、上杉家の会津転封に伴って堀秀治が春日山城主となり、秀勝公はその与力として新発田に入封されます。その二年後、関ヶ原の戦いに際して勃発した越後一揆でも功を立て、徳川家康から感状をもらい、徳川方につくことになります。
秀勝公の生き方には「信」が貫かれていると思います。「信頼」と言い換えてもよいでしょう。主君、家臣、領民、その他すべての人に対する「信頼」です。人間という存在を「信頼」し、人間を大切にすると言ってもよいと思います。
仏教における「信仰」は「浄信」であり、合掌して頭を垂れ「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」と唱えることが、その意思表示であると道元禅師は示しておられます。すなわち「浄信」とは、「信頼」ということです。仏陀と仏陀の教えと教えの実践とが、人格を高め、幸福な人生を送らせてくれるという事実を信頼することです。秀勝公の「信」は、この「浄信」にほかならないと思います。
人間というのは損得勘定で動くのではなく、他人を助けたいという、少し大げさにいえば慈悲によって行動するのであり、それが人の本質で、人間関係はお互いの「信頼」に基づくことを、秀勝公は当たり前のことと考えていたのだと思います。
隆雄様のご挨拶に、「宝光寺は100年後にも存続し、秀勝公の五百回忌をすることでしょう」とありました。秀勝公と歴代藩主のご遺徳を永く後世に伝えるためにも、皆さま方とともに護持して参りたいものと思います。
今年もよろしくお願いいたします。