平成23年8月1日記
原発は廃止しなければなりません。
大学2年生のときに、「Newsweek」に掲載されたスリーマイル島原発事故の記事を英語の授業で読みました。25年前にはチェルノブイリ原発事故が起き、何十万人もの人が移住を余儀なくされ、多くの人々、特に子どもたちがガンや白血病で苦しんでいます。
核廃棄物の毒性を消し去ることはできず、永遠に等しい時間に任せることしかできないものをどう処理するのか。人間の知識は相対的なものであるがゆえに事故は必ず起き、その被害は空間的にも時間的にも計り知れない。したがって、原子力は人間が扱えるものではなく、原発は廃止すべき、と一貫して考えてきました。
放射線被曝の研究をしている京都大学原子炉実験所の今中哲二助教が、あるテレビ番組の中で、「彼ら(原発推進派)は大丈夫だよ、大丈夫だよと言っているわけです。それはあくまで原発を作るための方便だと思ってたんですけど、どうも原子力安全委員会の委員長や東京電力なんかの対応を見ると、原発は絶対安全だと思っていた節がありますね」と話していました。
推進してきたひとりひとりの専門家はもちろん、危険性を熟知していると思います。しかし、集団で大丈夫だと言い始めるとたとえそれが間違っていても、真実であると思ってしまうのです。
私たちも同様です。危ないとは思うけれども、みんな普通に暮らしているのだから大丈夫だ。危機が目前に迫っていても、なあに大したことはない、何とかなるさ、とそこで考えるのをやめてしまうのです。
絶対少数の中で、正しいと思うことを発言し、行動していくことはたいへんな困難をともないます。原発の危険性を一貫して訴え続けてきた専門家がおりました。高木仁三郎という方です。残念ながら11年前に62歳で亡くなられましたが、福島第一原発の事故も予見しておられました。
高木はその功績が認められ、1997年にはライト・ライブリフッド賞を受賞しました。第二のノーベル賞といわれ、現在もっとも差し迫った社会問題を解決すべく活動している人に贈られるものです。
継続した努力の原動力はいかなるものでしょうか。信念、仏教でいう「浄信」だと思います。ものごとの真実を見すえ、欲を離れた確信です。
釈尊は言います。
…すべては燃えている。熾燃(しねん)として燃えさかっている。…それらは何によって燃えているのであろうか。それは、貪欲(むさぼり)の焔(ほのお)によって燃えており、瞋恚(いかり)の焔によって燃えており、愚痴(おろかさ)の焔によって燃えているのであり、また、生・老・病・死のほのおとなって燃え、愁(うれい)・苦(くるしみ)・悩(なやみ)・悶(もだえ)のほのおとなって燃えているのである。…しかして、一切において厭(いとい)の心を生ずれば、すなわち、貪(むさぼり)の心を離れることができる。貪ぼりの心を離るることを得うれば、すなわち、解脱(げだつ)することを得うるのである。(『律蔵』「大品」)
原発の焔は私たちの「貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(おろかさ)の焔」なのです。エネルギーとモノに対する執着、「貪りの心」を離れれば、原発の焔もおのずから消えるでしょう。
ただし、無理は禁物です。釈尊のいう中道によれば、何ごともほどほどが肝要です。私たちひとりひとりができることを行ない、「脱原発」を実現しなくてはなりません。