宝光寺は、新発田藩主溝口家の菩提寺で、曹洞宗に属する禅寺です。

用語集

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用語集

「あ」行

「か」行

開基

寺院を開創すること、あるいは開創するために経済的に支援した者のこと。

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「さ」行

施餓鬼会(せがきえ)

この法要の意味はおおよそ次のとおりです。

飢えに苦しんでいる餓鬼に食を施すことによって苦しみから救い、さらに餓鬼がお悟りを求める心をおこして、修行し成仏するように念じることの功徳を、供養の対象(たとえば、施主のご先祖様)に回らし向けて、施主の感謝の気持ちを捧げるものです。
少々乱暴な言い方ですが、供養の対象(たとえば、施主のご先祖様)のために餓鬼に施す、というのが施餓鬼会という法要だと考えてよいのだと思います。

ところで、「餓鬼」とはいったいどのような存在なのでしょうか。
日本では、二つの概念が混じり合っているようです。

まず、死後供養されずに成仏できないでいる、いわゆる亡霊を「餓鬼」と考えてきたようです。

次に、輪廻世界の一つである餓鬼世界の住人として考えてもきたようです。
古来、仏教においては、古代インドの世界観を元に、「五道」ないしは「六道」という世界観を考えてきました。五道とは、天、人間、畜生(動物)、餓鬼、地獄の住人が住む五つの世界から世界全体が構成されているという考え方であり、これに阿修羅(悪神)の住む世界を加えた六道を説く場合もあります。

インドにおいては、これらの世界が実際に存在し、生きとし生けるものは、その行為の結果(業果)によって、これらの世界を永遠に生まれ変わり死に変わり(輪廻転生)し続けると考えてきました。日本においては、真に輪廻転生が信じられたことはなかったと思いますが、五道ないし六道の世界観を信じていた時代はあったことと思います。
この餓鬼道の住人が餓鬼であり、飢えに苦しんでいる存在と考えられてきました。

ところで、皆さんはどのように考えますか。五道ないしは六道を物質的な意味で実在するとは考えていないと思います。
象徴的な存在、あるいは信じることによって存在する実在と考えていると思います。つまり、私の心のあり方とそれによって引き起こされている私の現在の状況を象徴的に表現したものだと考えてよいと思います。
ありあまる物質に囲まれて暮らしている私たち日本人ですが、まだ足りない、まだまだ足りないと追い求めている一面もあります。現代経済学では、欲望の非飽和性を前提しています。人間の欲望には限りがないというのは人間の本性の一つではありますが、これでは、どこまで行っても満足できないのも道理です。つまり、餓鬼と化しているわけです。
私の勝手な解釈ですが、現代の施餓鬼会は、欲に振り回され餓鬼と化している私をしっかりと見つめ、反省し、足ることを知り、もしこの世界で困っている人々がいれば、現実にいるわけですが、施しをする気持ちをおこし、できれば実践することに意義があるのではないかと思います。

曹洞宗では、施すものを象徴的に「食」と表現し、すべてのものに施す「&ruby(せじきえ){施食会};」という名称が適当であると施餓鬼会の名称を変更しています。

ただ、私は時として「餓鬼」と化す私自身に自戒の意味を込めて、あえて「施餓鬼会」という名称を併用しています。

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遷化(せんげ)

僧侶、特に禅僧が亡くなることをいいます。
教化(きょうけ)の場をあの世に(うつ)す、という意味です。

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「た」行

大般若会(だいはんにゃえ)

祈祷法要です。
玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほっし)(602~664)が翻訳した600巻の『大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)』を一巻ずつ扇の形に開いて転翻(てんぽん)する「転読」を要とすることから、「転読大般若」とも呼びます。
600名の僧侶が集まれば、それぞれの巻を数十分でしっかり読誦することができますが、それは現実的ではありません。そこで、20名の僧侶で30巻ずつ転読し、その功徳によって、一切の災いを消し去り、吉祥(きちじょう)ならんことを祈祷します。
『大般若波羅蜜多経』は、すべての存在・現象は実体を欠く「(くう)」なる存在であって、常に変化し、滅したり生じたりする事実を完全に理解体得することが「般若」である、と説く経典ですから、どんな災いでも空じて福となすことができます。この真実のことばの力を現成(げんじょう)させ、現実を変えることが大般若会です。

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「は」行

花祭(はなまつり)

釈尊(お釈迦様)の誕生を祝う祭り。色とりどりの花で誕生仏のお堂を飾ることからこのように呼ばれるようになった。日本では4月8日に行うのが一般的だが、ひと月遅れの5月8日に行う地方もある。(当地では、5月の第2土曜日に仏教会主催でお勤めしている)
稚児衣裳を着けた子どもたちが白像とともに行列し、誕生仏に甘茶をかけて祝います。
降誕会・灌仏会の通称。

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法戦式(ほっせんしき)

一人前の僧侶になるにはいくつかの階梯をふまねばなりません。得度、結制(けっせい)嗣法(しほう)などがその主なものであり、この過程をへる間に、僧堂で少なくとも半年以上の安居(あんご)(修行)を経験します。

この中でもっとも大がかりなのが、結制において首座(しゅそ)となり修行することです。

結制とは、九十日間禁足して修行することですが、古くは釈尊の時代にはじまったと言われています。インドでは、春から夏にかけての約三か月、雨季になります。この期間は、毎日雨が降り続くため、道が流され、村から村へと巡り歩いて修行することができなくなります。そのため、祇園精舎のようなお寺にとどまって修行するようになりました。

これを結制と呼び、雨安居、九旬安居とも呼びます。仏教がシナに伝わると、冬にも行われるようになり、江湖会(ごうこえ)とも言われるようになりました。

首座は第一座とも長老とも呼ばれ、結制中、あらゆる行持に率先して励み、修行僧を導いていきます。その中でも法戦式(ほっせんしき)は、住職に代わって修行やさとりについて修行僧と問答を戦わせる最重要な行持です。

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