曹洞宗宝光寺は、新発田藩主溝口家の菩提寺です。

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当山の寺報『城東法窟(じょうとうのほうくつ)』に掲載した法話の中からお届けします。

「まだ」は「もう」、「もう」は「まだ」ー平成21年8月1日記ー

今年もすでに7か月が過ぎ去りました。今年は「もう」5か月しかありません。あるいは「まだ」5か月もあると言うべきでしょうか?「もう」も「まだ」も、英語ではいずれも「yet」で表現します。視点の違いに過ぎず、実質的には変わりがないということなのでしょう。

しかし、視点の違いは生き方の違いになります。道元禅師はこのように言われます。

学人は必ズしも死ぬベキ事を思フベシ。(『正法眼蔵随聞記』三)

仏教者は、人間の死亡率は100%だということをよく考えなさい、というのです。当たり前のはずですが、反応は人それぞれ、笑う人、当たり前だという人、ムッとする人、さまざまです。

人間の死亡率が100%だという事実が真実だったと気付くのはどういったときでしょうか。身近な者と死別したり、自分の余命が幾ばくもないと宣告されたときなどだろうと思います。

余命1、2年と宣告された方の貴重な記録を拝見することができました。NHKの番組「ドキュメンタリー あと数か月の日々を…」です。番組が終わってすぐ床に入ったのですが、なかなか寝付かれず、何度も夢を見、朝も早く目を覚ましてしまいました。

内容は、昨年7月10日に亡くなられた戸塚洋二さんのガン闘病記です。

戸塚さんは理論上は質量を持たないとされていたニュートリノに質量があることを実験によって証明した実験物理学者で、ノーベル賞の受賞も期待されていました。スーパーカミオカンデでの10年以上に及ぶ膨大な実験データをもとにこの業績を打ち立て、宇宙の謎を解明すべく次のプロジェクトを立ち上げた矢先にガンに倒れました。

自宅で療養生活をはじめられた戸塚さんは、自分のガンの状況を詳細に観察し、2007年8月4日にブログを開設して、そのデータを公開しはじめます。「まるで人ごとのように記録をつけていますが、研究者として一生を送って来た者の悲しい性です」と記しておられます。

事実を冷徹に観察する科学者としての姿がここにあります。

しかし、ブログの「人生」と題されたカテゴリーには、精神的な苦悩も綴られています。

末期がん患者の身、あと何カ月彼らを見守れるかわかりません。何年か先の彼ら家族を見物できないのは痛恨の極みです。(2007年10月28日)

布団の中に入って眠りに着く前、突如、

  • 自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、
  • 自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、
  • 自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない、

ということに気づき、慄然とすることがあります。(2008年2月10日)

ところで、ブログの当初のタイトル「A Few More Months」は、戸塚さんの命の尺度を表していて、2、3か月体調を維持できたら次の2、3か月を目標にする、という意味でした。

その後、ブログ開設から10か月目(2008年5月3日)にタイトルを「The Fourth Three Months」(4番目の3か月)と変更され、新たな3か月に挑戦する意欲を示された上で、大腸ガン患者のAさんの質問に答えて、充実した時間を過ごす方法をこのように記しておられます。

私の「努力」は、見る、読む、聞く、書くに今までよりももう少し注意を注ぐ、見るときはちょっと凝視する、読むときは少し遅く読む、聞くときはもう少し注意を向ける、書くときはよい文章になるように、と言う意味です。これで案外時間がつぶれ、「恐れ」を排除することができます。この習慣ができると、時間を過ごすことにかなり充実感を覚えることができます。

戸塚さんが大腸ガンを再々発されたのが2005年9月、仕事の関係と主治医との相談で抗ガン剤治療をはじめられたのが、2006年4月でした。その時点で、ご自分で調べられて余命は19か月ほどと判断されたようです。実際には、27か月ほど存命されました。

自分のことを「平凡な人間」と言い、死の「「恐れ」の考えを避ける」と言いながら、余命を3か月ほどに区切って、「まだ」生きられる、「もう」3か月を生き延びられた、と生と死に向き合い、感謝しながら見事に生き抜かれた、と私は感じました。本当は生きてその目で見たかったTK2という素粒子実験もこの4月23日に無事成功し開始されたようです。「千の風になって」の詩が好きではない、と記しておられた戸塚さんですから、このような言い方もお好きではないと思いますが、戸塚さんもあの世からご覧になられ喜んでおられる、と私は信じたいと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

平成21年8月1日記

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伝えることー平成20年1月1日記ー

あけましておめでとうございます。

世界的指揮者の小澤征爾さんが、過労のため、帯状疱疹を発症し休養したことがありました。

過労の原因は、「歳をとったら教えることが好きになり、仕事の量を減らさずに、休暇の時に教えていたため」というようなことを言っておられました。

小澤さんはなぜ、教えることが好きになられたのでしょう?それは、後継者が欲しくなったためではないかと想像します。ご自分では意識はされておられないのでしょうが、ご自分の技術、つまり生命を後世に伝えたいと考えるようになられたのだと思います。自分が死んでも、自分の生命は後継者に受け継がれ、それがまた伝えられれば、永遠に生き続けることができます。

元旦の朝には「おめでとう」と挨拶をかわします。別にいつもと同じように一日が明けただけなのですが、新しい一年は、生命の持続性と再生を感じさせてくれるのでしょう。特に、昔は正月になると一つ年齢が増えたわけですから尚更です。

私たち僧侶も弟子を育成することはたいせつな勤めです。

私どもの開祖道元禅師の本師は、天童如浄(てんどうにょじょう)という宋の禅僧です。如浄禅師は、道元禅師の師であることで中国禅宗史上で重要な人物とされています。もしも、道元禅師という弟子がいなければ、歴史に名前をとどめることはなかったでしょう。弟子が偉いと、師も偉くなるのです。

私の師匠は、「弟子がいないものは禅僧として失格だ」としばしば申しておりました。私のような不肖の弟子でもいないよりはましと開き直っています。そんな私にも弟子ができました。二男坊の大倫の得度式を昨年の十月十三日に勤めることができ、私にとっては嬉しい限りで、昨年最大のできごとでした。これも、檀信徒の皆様、また近隣ご寺院のお蔭と感謝しております。まだ十五歳の子どもです。山のものとも海のものともわかりませんが、仏弟子としてたいせつに育てていきたいと思っています。あたたかく見守っていただければ幸いです。

育て伝えるといえば、今年七百年の遠忌を迎える永平寺の三世、徹通義介(てっつうぎかい)禅師を忘れることはできません。

道元禅師から瑩山(けいざん)禅師へと曹洞宗を手渡したのが徹通禅師です。

徹通禅師は、永平二世孤雲懐弉(こうんえじょう)禅師と同様、日本達磨宗という禅宗の一派に属する僧侶でした。達磨宗の開祖大日能忍(だいにちのうにん)は師なくして悟った(無師独悟)とされ、そのせいで比叡山や栄西、日蓮などから批判され、迫害を受けますが、道元禅師だけは達磨宗の僧侶たちを厚遇しました。そして、徹通禅師は兄弟子の懐弉禅師のすすめもあり、他の道友たちとともに道元禅師の弟子となります。

永平寺で、徹通禅師は、修行僧の食事を作る典座(てんぞ)の職と事務の総責任者である監寺(かんす)の職を兼務し、献身的に務められました。しかし、道元禅師の法を嗣ぐことはまだ許されていませんでした。病気療養のため上洛される道元禅師は、永平寺に帰ったら嗣法を行うことを約束し、永平寺の留守を徹通禅師に命じ、その折「老婆心(ろうばしん)」が足りないことを諭されます。

「老婆心」とは、老婆のような行き届いた親切心のことです。おそらく、徹通禅師という方は、ひじょうに優秀な辣腕家で、どんな仕事でもてきぱきと的確にこなされたのでしょう。反面、強引なところがあったり、独善的になられたようなこともあったのでしょう。そんな徹通禅師に対する道元禅師の忠告だったのだと思います。

残念ながら、道元禅師はふたたび永平寺にお帰りになることはなく、彼の地で亡くなられます。その後徹通禅師は、懐弉禅師から法を嗣がれます。

徹通禅師は懐弉禅師の命により、伽藍等の調査のため京都や鎌倉をまわられ、入宋されて、「五山十刹図(ござんじっさつず)」(重要文化財)を作成し、永平寺の伽藍を整備するなど、懐弉禅師から絶大な信頼を寄せられていたに違いありません。

そして、文永四年(一二六七)永平寺三代目の住職となられます。徹通禅師の力で永平寺は面目を一新、充実したため「中興」と呼ぶべきだという意見まで出たそうです。

しかし結局、徹通禅師は永平寺を出てしまうことになります。理由は明らかではありませんが、道元禅師亡き後、感情的・思想的・派閥的対立がくすぶっていて、ついにそれが徹通禅師をめぐって激しくなり、徹通禅師自ら身をお引きになられたのでしょう。

実務家で切れ者の徹通禅師に対する嫉妬心、徹通禅師が達磨宗の法統も受けついでいることへの批判などが渦巻いて収拾がつかなくなってしまったのでしょうか?

永平寺を出られた徹通禅師は、弟子瑩山禅師を伴に加賀に移られ、大乗寺を開創されます。

この瑩山禅師が総持寺を開かれ、現在の曹洞宗の基礎を作ります。結果論でしかありませんが、徹通禅師が永平寺を出られたこと、そして当時二十歳前後であった瑩山禅師がこの事件を目の当たりにし、その体験を教団運営に生かしたことが、その後の曹洞宗の発展を導いたのではないでしょうか。

現在の曹洞宗僧侶のほとんどは、道元禅師―懐弉禅師―徹通禅師―瑩山禅師の流れを汲んでいます。道元禅師の仏法が現在に伝えられたのは、永平寺を去られたにもかかわらず、瑩山禅師というお弟子を育てられた徹通禅師のご功績に負うところが少なくないと言ってよいでしょう。

宝光寺では徹通禅師のお徳をお偲び申し上げるべく、永平寺・大乗寺などへの参拝旅行を企画いたしました。病気療養のため上洛する道元禅師を、徹通禅師が最後に見送られた木ノ芽峠にも参ります。お誘い合わせの上、ご参加ください。

本年もよろしくお願い申し上げます。

平成20年1月1日記

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写経のすすめー平成19年8月1日記ー

写経とは

仏教はさまざまの流れに分かれて、インドからアジア各地に広がっていきました。お釈迦様が亡くなられて約百年後(南伝では二百年後)、インドでは、教団は二つに分かれ、その後分裂を繰り返して20ほどの部派が生まれたと伝えられています。

これらの部派教団は、保守的な思想を持った上座部から進歩的な大衆部までそれぞれが、独自に経蔵(お釈迦様の教えをまとめた文献)・律蔵(出家修行者の生活上の規則規範をまとめた文献)・論蔵(経蔵に対する研究をまとめた文献)の三蔵を持ち、教理を発展させていきました。
その中でも、説一切有部(せついっさいうぶ)軽量部(きょうりょうぶ)は有名で、特に説一切有部はもっとも強力な部派でした。

「説一切有部」とは、「一切(すべてのもの)が有ると説く部」派であり、お釈迦様の「無常」や「無我」の教えと根本のところでズレが生じてしまいました。それは、ものごと・ことがらは、「現象」としては無常だが、その背後にある実体の世界は恒常であると説いたことです。その上、仏になるための教えのはずだった「仏教」が、「仏」に次ぐ「阿羅漢」にしかなれないとも説きました。

お釈迦様は、一切の実体を認めなかったし、誰でもが仏になれると説かれたのではなかったか。「お釈迦様の根本的な立場に帰ろう」という動きが、大乗仏教という形で現れます。

「空」思想と空の実践者としての「菩薩」が大乗仏教の根幹であり、「空」を説き、大乗仏教のはじまりとなったのが、般若経と呼ばれる一群の経典です。

『八千頌般若経』という最古の般若経は、西暦50年頃に編纂されたと考えられていますが、その中に次のように説かれています。

この知恵の完成(の教え)を書きしるして書物のかたちとし、供養をまず行なって安置し、供養を続ける良家の男子や女子があるならば、たとえ(それを)習わず、覚えず、唱えず、理解せず、宣布せず、説かず、述べず、教示せず、読誦しなくても、この良家の男子や女子は、かの(以前に述べた、ストゥーパを建立する)人々よりももっと多くの福徳を得るのである。(梶山雄一訳大乗仏典2『八千頌般若経』Ⅰ、中公文庫、2001年、125〜126頁)

般若経を書きしるす、つまり「写経」することは、仏陀の舎利を納めた塔を建てるよりも、多くの幸福や利益(りやく)を得られるというのです。

仏陀の舎利を納めた塔とは、日本で言えば、奈良や京都などにある五重塔や三重塔のことです。そんな塔を建てるよりも、写経の方が功徳があるということになります。

奈良の薬師寺では、般若心経などの写経の納経志納金で伽藍の復興を成し遂げましたが、伽藍の復興自体による功徳よりも、お一人お一人の写経による功徳の方が大きかったことになります。

年回忌などの法事の際にも塔婆を建てます。この塔婆は、五重塔や三重塔と同じものです。また、納骨の際に写経を一緒に納められる方がおられます。どちらも大きな功徳がありますが、『八千頌般若経』によれば、写経を納められた方が大きな功徳があるいうことになります。
また、写経しさえすればよいのであり、お経を覚えたり、唱えたり、理解したり、内容を説明したりしなくとも、多くの功徳を得られるというのです。
つまり、「写経」は万能であるということです。

なぜ、このように『八千頌般若経』は「写経」を強くすすめるのでしょうか。それは、何より『八千頌般若経』という経典を広く流布(るふ)させたかったからです。ある時期から、インドでは大乗仏教一色になった、と考える方がおられます。事実はそうではありません。部派仏教と大乗仏教とは並立して存在し、部派仏教の方が常に優勢だったようです。そして、七世紀以後は、両者は密教に解消していったとみてよいでしょう。七世紀の前半にインド各地を旅した玄奘三蔵法師の報告によっても、部派仏教の教団の方が優勢であったことがわかります。
大乗仏教はいかなる形でおこり、いかなる人々がその担い手であったのか、はっきりしたことはわかっていません。進歩的な教えを説いていた大衆部から生じた説と、仏塔崇拝に集っていた主に在家信者を中心にした人々から起こった、という二つの説が出されていますが、どちらの説にも長所と短所があり、決定的ではありません。

いずれにしろ、大乗仏教ははじまりから終わりまで、主流派にはなれなかったと考えてよいようです。特に、初めのうちは地下潜行的に行われていた(ふし)もあり、今のように印刷技術もない時代ですから、一冊でも多く書写して広めることが急務だったと考えられます。

現代においては、印刷技術が高度に発達し、電子的な形でも記録できるようになっています。ですから、上のような実質的な利益は、「写経」という(ぎょう)にはなくなっています。しかし、宗教的な実践としては、意義は失われてはいないと思います。

一字一字心を込めて書写することは、そのお経を記憶し、理解するには最も適したやり方です。また、写経は心を落ち着け、同時に集中して行わなければうまくできません。そこには、雑念もなく、こだわりもなく、ただ写経する自分がいるだけです。写経が目的((さと)り)であり、手段(修行)となる「修証不二」の境地が現前します。

書写する経典について

気に入った経典を写されるのが一番ですが、何の手掛りもないのでは決めにくいと思いますので、いくつかの経典を紹介いたします。

 『般若心経』
正式な名称を『(摩訶)般若波羅蜜多心経』と言い、日本人にはもっとも有名なお経です。
題名を入れても、二百七十数文字ですから、書写するには一時間もみればよいでしょう。
『般若心経』は、般若経のエッセンスをまとめたもので、「空」と空の実践としての「般若波羅蜜多」を忘れずに心にとどめ、日頃実践するために、唱え(たも)つことを目的に作られた経典だと私は思います。たとえば、本を読んで、他人をほめることが幸福への道だと納得し実際にやりはじめても、何日かするとそれを忘れたり、熱が入らなくなることが一般的です。そんなときに、要点をまとめたメモがあれば、それを見返して、また思い直してやりはじめることができます。このメモにあたるのが『般若心経』です。
『般若心経』の「心(フリダヤ)」は、心髄という意味とともに「その境地に永くとどまるようにとなえる呪文」という意味もあります。『般若心経』はこれを唱えることによって「空の実践の道である般若波羅蜜多(知恵の完成)という道」を歩んでいこうという願いが込められています。
写経にはもっともオススメのお経です。

 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈』
『観音経』として知られているお経の偈頌の部分です。
観音様の力を念ずれば、どんな災難危難からも救われると説くお経です。
『般若心経』では短くてもの足りないという写経の中級者以上の方にオススメです。

 『延命十句観音経』
題名のとおり、十句で構成されているお経です。題名を入れて四十九文字しかありません。
気軽にはじめたい場合にオススメです。

写経のやり方

とにかくお経を写せばよいわけです。手本の上に薄い紙を載せ、透けて見える文字を上からなぞって書いていきます。手本は文房具店で手に入ります。
経文をすべて写し終わったら、「為書き」と年月日、氏名を書きます。「為書き」というのは、写経したことによって実現したい願いを書くことです。経文の後に「為」と書いてありますから、その下に具体的な願いを文字にして書き入れます。たとえば、身体堅固、家内安全、交通
安全、受験成就、世界平和等、自分の願いを書いてください。

参考にもっともあらたまった形式の写経の作法を紹介します。
これはあくまでも一つの方法ですから、皆さん各自の方法を考えて試していただければそれが一番です。

落ち着いた邪魔の入らない環境を整えます。
よく掃除された清潔な部屋で、電話や来客は家人に応接してもらうように頼んでおきます。よい香りのする香や線香を焚くのもいいと思います。

墨、すずり、書道用の小筆、下敷きを用意します。
まず墨をすります。少量すっておき、足りなくなったらまたすりましょう。最初に大量にすっておくと、思いのほか水分が蒸発して、墨が濃くなってしまい、書きにくくなったり、文字に濃淡ができて美しく仕上がりません。

次に、下敷きを敷き、その上に手本、薄紙(写経用紙)を載せて、手本をなぞります。一字一字、心を落ち着け、丁寧に写しましょう。
為書き、年月日、氏名を書いて終わりです。

上のやり方では面倒くさくてやりにくいと感じた方は、墨を墨汁に代えてもよいですし、それでも厄介ならば筆ペンでも、サインペンでも、ボールペンにしてもよいと思います。
面倒くさくてやらないよりは、とにかく写経を実際に行うことが重要ですから、ご自身のやりやすいように工夫してください。要は、経文を書写し、書写した文字が一定期間残る、という目的が達成されればよいのですから、臨機応変にされて構いません。

写経を納める

完成した写経は、納経志納金を添えてお寺に納めましょう。宝光寺でも受け付けます。当面は、本堂の須弥壇の上でお預かりしますが、将来は納経志納金を原資にして経蔵を修復し、かつて一切経の納められていた経蔵内部の輪蔵にお納めできればと考えております。

皆様の真心がこめられた写経が納められれば、一切経が納められている以上の功徳が生じることと信じております。

平成19年8月1日記

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死者との対話ー平成19年1月1日記ー

現代社会において、倫理的に生きることは至難のわざとなりつつあります。

「倫理」とは、『大辞林 第二版 (三省堂)』に「人として守るべき道。道徳。モラル」と示してあります。人と人との関係・秩序を良好に維持する原理が「倫理」であり、その起原・発達・本質等を研究するのが「倫理学」で、論理学・美学とともに哲学の三大部門とされています。

科学技術が高度に発達し、流動性が高まり・価値観の多様化した現代社会では、「倫理」も流動的・相対的にならざるを得ないようです。ざっと考えてみても、臓器移植・遺伝子治療・クローン・安楽死・尊厳死・代理母、死刑廃止論・セクハラ・体罰・いじめ等々、一筋縄では解決できない重要かつ深刻な問題が山積しています。倫理学の果たす役割がますます重要になるとともに、「倫理」を考えることが一般人にも要請されるようになっていると思います。

ところで、「宗教」の倫理と「世間」の倫理は必ずしも一致しません。悟った人が世間的・社会的に「善人」とは限らないのです。宗教が反社会的行為をするのはこの為です。輸血を受けないとか、既に死亡した人を生きているとみなしたり、というのは極端な例ですが、ダライ・ラマ十四世は中国政府や国民からは、勝手に亡命して税金を納めないけしからん奴だと思われているでしょう。しかし、彼らは宗教的には正しいことをしているのです。私どもの宗祖道元禅師は京都を追われ、法然・親鸞・日蓮はいずれも島流しに遭っています。彼らの教えは、当時の社会規範からは危険視されたのです。

「宗教」の倫理は、「出世間」あるいは「超世間」であり、「世間」的な尺度とは物差しが異なるのです。宗教の価値基準は「あの世の論理」であり、一般の価値観は「この世の論理」と言ってもよいでしょう。

それでは、ごく一般的な社会生活を送る大多数の人々には、宗教の倫理は無関係かと言えば、そうではありません。生者は生者同士だけで、生者との関係でだけで生きているわけではありません。死者との関係の中でも生きているのです。死者との関係こそが、大多数の人にとっての「超倫理」であり、「超世間」なのです。

昨年も多くの親しい方々との別れがありました。会者定離は、百パーセント実現する絶対のこととはいえ、やはり寂しく、時には不条理を感じることさえあります。

昨年の十一月には、お二人の方とお別れいたしました。上旬に、宝光寺の役員を長年勤めていただいた○○さん、そして下旬に義理の叔父で栃木県の○○寺の住職吉留誠道老師です。

吉留師には私が僧侶になり、修行に行く前からたいへんお世話になりました。お寺の後継者として育てられたわけではない私は、ごく普通の大学に行き、大学四年生の夏休みに先代住職の弟子になり、内定していた就職を断って永平寺に上山したのですが、衣の着方やお袈裟のつけ方、お経の読み方、作務の仕方など、基本的なことを何一つ知らず、大学に通いながら毎週土曜日になると興福寺に行き、さまざまのことを学びました。

春休みになると、一週間ほど興福寺に泊まり込み、修行に行くための最後の仕上げをし、そのおかげで何とか永平寺での修行を無事に終えることができたのだと思っています。

吉留師は、美術大学で学ばれたセンスを存分に発揮して、興福寺を檀家さんにとってのこの世の浄土とすべく努力してこられました。ご自分でデザインした仏具や設計した客殿・観音堂、墓地にはぼたんが咲き誇り、寺院のあるべき姿の一つがここにあると、私は考えています。

吉留師の葬儀の準備を手伝いながら、教えていただいたことをいくつか思い出しました。「一般のお寺は、本山とは違って檀家さんあってのものなのだから、とにかく檀家さんを大切に、檀家さんが喜ぶお寺作りをしなくちゃね」「檀家さんの事情をよく知って、困っているときはお互い様だからね」と、とにかくお檀家を大切にしておられました。

吉留師は六十五歳、いつでも会えると思っていて、六年前の宝光寺の客殿落慶法要以来、電話で話しただけで直接お会いすることもありませんでした。そのせいか、遷化(せんげ)されてからの方が身近に感じられるようになりました。師のことを思い起こせば、いつでも話すことができるからです。

私は吉留師の教えのどのくらいを実現できているのか、また実現できるのか、わかりませんが、師との対話を通して精進して参りたいと思っています。

皆様にも、亡きご家族・ご先祖様との対話を大切にしていただければ幸いです。

平成19年1月1日記

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ほめることは幸せへの近道ー平成18年8月1日記ー

「幸せ」には三つの段階・ステージがあると思います。

1相対的な幸せ、2絶対的な幸せ、3究極の幸せの三つです。

「相対的な幸せ」は、優越感から生じるものです。「究極の幸せ」は、人の役に立って感じる生き甲斐です。今回は、二番目の「絶対的な幸せ」についてお話ししたいと思います。

生(生れる)・老(年老いる)・病(病になる)・死(死ぬ)が、なぜ苦しみなのでしょう?すべて、この世に生を受ければ当たり前のことなのに、なせ苦しみなのでしょう?なぜ、「四苦」といわれるのでしょうか?

それは、あなたが苦しいと感じるから、考えるからです。生理的な痛みを感じれば、苦しいと思うのは当たり前です。しかし、痛みがなくとも、生老病死を苦しみと考えてしまっています。

ところで、人間以外の生きものは「幸せ」を感じるでしょうか?動物も「信仰」はあるそうです。昨年、ひとつがいのかぶと虫を買い求め、今年三十三匹のかぶと虫を羽化させることができました。次々と羽化したので、餌のゼリーを乗せる木の枝が足りなくなり、樫の葉で代用してみましたが、食べません。そこで、樫の葉を木の枝のそばに置き、木の枝にゼリーが接するように置いたら、食べてくれました。自分たちの餌は樹木にしか存在しないという、先祖代々の「信仰」があるようです。

信仰の対象はさまざまです。私は、お釈迦様の教えを信仰し、数学者は数学、科学者は科学を信仰しています。お金を信仰して、破綻してしまった人もいました。

このように人間も人間以外の生きものも信仰はします。しかし、「幸せ」を感じるのは人間だけのようです。

ネコを飼っています。「幸せ」に暮らせるようにとかわいがっていますが、「幸せ」を感じているのは、ネコではなくて飼い主の方です。どうも「幸せ」というのは、私たちの思考の産物のようです。頭で考えた「虚構」「作りごと」なのです。

「作りごと」は重要な役目をになっています。なぜ小泉総理大臣は総理大臣なのか?なぜ福沢諭吉の姿が印刷してある紙切れが一万円の価値を有するのか?それは私たちがそう考えているからです。なぜ私は宝光寺の住職なのか?それは檀信徒の皆さんがそう考えているからです。

このように、人間の社会は「作りごと」で成り立っています。「作りごと」を利用することによって無事に暮らしているのです。「幸せ」も作りごとです。したがって、「幸せ」だと思えば、「幸せ」になれるのです。

しかし、「思考」は変えがたいものです。人間は変化を嫌います。「幸せ」だと思えばよいといっても、たやすくできるものではありません。

そこで、「幸せ」だと思えるようになる方法の一つをお教えします。それは、他人を「ほめる」癖をつけることです。

何でもよいのです。たとえば、「今日の味噌汁もおいしいなあ!」くれぐれも「…味噌汁は…」と言ってはいけません。「昨日はまずかったのか」と言われますから、「今日も…」と言わねばなりません。

一日に五回以上、他人をほめなくてはならない、という規則の会社があります。儲かっているそうです。人間関係がまことにスムーズに機能していて、効率よく仕事をこなせるからだそうです。

道元禅師は「愛語()(かい)天の力あることを学すべきなり」と言われます。

真心からのやさしいことばは、天をもひっくり返す力を持っていることを学びなさい、とのお示しです。「ほめる」ことは愛語の一種です。「ほめる」ことによって、周囲の人々も変わるのでしょうが、一番変わるのは自分自身です。自分の見方が劇的に変わるのです。これが「廻天の力」です。

いついかなる状況でも、前向きの見方があなたを「幸せ」に導いてくれることでしょう。

お盆が近づいて参りました。「幸せに暮らしているよ」とご先祖様に報告できるように、毎日他人を「ほめ」て、明るく日送りをしたいものです。

平成18年8月1日記
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日本人の美徳ー平成18年1月1日記ー

あけましておめでとうございます。

昨年は世界物理年という年でした。

アインシュタインとタゴールの対話を題材に、メールマガジン「読むと幸せになるメルマガ!」の第2号を配信し(内容は「心」こそがすべてをお読みください)、それを元に法事のときの法話をしたところ、「今年は世界物理年という年だそうですよ」と教えていただきました。

「世界物理年」は、アインシュタインが光電効果の理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論という三つの革新的な論文を発表した1905年から百年を経たことを記念して、国際純正応用物理学連合が定めたものです。

昨年の後半は、強くというわけではありませんが、アインシュタインとタゴールの対話が頭にありました。そんな中、十二月十七日に放映された「世界ふしぎ発見!」というテレビ番組で、アインシュタインが訪日したときのエピソードが紹介されていました。不覚にも、それまでアインシュタインが訪日したことすら知らなかったのですが、彼は日本人の印象をこう記しています。

日本人は西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて科学に飛び込んでいます。けれども、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていた生活の芸術化、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです。(アインシュタイン「日本における私の印象」)

厭味もなく、疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。(1922年12月10日付、アインシュタインの日記)
(いづれも出典は『アインシュタイン日本で相対論を語る』講談社)

最高の讃辞です。これ以上の称讃はないと思います。

しかし、「純粋な心」は、悪意を持った人間に付け入られ、利用されてしまう一面があり、危険をはらんでいます。悪用する方がもちろん悪いのですが、世の中そう甘くはありません。純粋な子どもがしばしば残酷な言動や行為に走り、若者が教義と称して殺人を犯したりすることがありますが、これは純粋さを悪用された例でしょう。

法華経(ほけきょう)の「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」にこんな一節があります。

「功徳を修(しゅ)し、柔和にして質直(すなお)なる者は 則ち皆、わが身、ここに在りて法を説くと見るなり。」(坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(下)』岩波文庫)

様々の苦労・善行をなし、その上で心が穏やかで謙虚で素直な人は、仏陀がここにおられて真実を説くことを見る、つまり幸せに生きていける、という意味です。

苦労をするとひねくれて頑固になり、素直さや純真さを失ってしまう場合があります。「柔和にして質直なる者」は、様々の苦難・苦労をへて、それでも素直・純真な人のことです。また、生来、素直で性質のよい人もおられますが、それもこの「柔和にして質直なる者」ではありません。

アインシュタインが見た日本人は、日本という恵まれた国土でぬくぬくと育った人間で、法華経の「柔和にして質直なる者」ではなかったのではないか、と私は考えます。たとえれば、赤子の素直さ純真さだったのかもしれません。とはいえ、当時の日本人が持っていた美徳はすばらしいもので、世界に誇るべきものだったと思います。そして、残念ながら、現在はその美徳が失われつつあります。私たちがめざすべきは、酸いも甘いもかみ分けて、その上で「柔和にして質直なる者」になることです。今年こそ、成熟した大人の日本人になりたいものです。

平成18年1月1日記

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覚悟して参りましょうー平成17年1月1日記ー

あけましておめでとうございます。

昨年は、水害に台風、地震と日本全国いたるところで災害が発生し、多くの方々が被災されました。謹んでお見舞い申し上げます。

いつの頃からか、「危機管理」という言い方を耳にするようになりました。初めて聞いたときに奇妙な言い方だと感じた記憶があります。なぜ奇妙に感じたのか、そのときには突きつめて考えなかったのですが、養老猛司さんの『まともな人』(中公新書)を読んで謎がとけました。

「危機とは、そもそも管理できない状態をいう。それを『管理する』とはどういうことか」と書いておられます。

管理できないから危機なのです。管理できれば、それはもはや危機ではないということです。

では、昔の人はどうしたか。養老さんによれば、「覚悟し」た、というのです。「覚悟」というのは、もともとは仏教語です。広辞苑を引きますと、「〔仏〕迷いを去り、道理をさとること」と書いてあります。

十月二十三日の中越地震発生の際、私は葬祭場におりました。檀家さんのお通夜のためです。お通夜は午後七時から行うことがほとんどですが、その日は土曜日ということもあり、六時開始の予定でした。

衣とお袈裟に着替えて式場の隣の控え室で待っておりましたら、最初に小刻みな縦揺れが起こり、続いてゆっくりとした横揺れが続きました。式場では、お参りの方々が騒いでおられました。係の者が参りまして、一緒にNHKテレビを見ましたが、すぐには正確な情報はつかめないようでした。「皆さん、落ち着かないのですがどうしましょう」と係が問うので、私も曖昧な返事をしておりました。「様子を見てきます」と言い置いて、係が出て行きますと、まもなく大きな余震が来ました。また隣の会場では、皆さんの騒ぐ声や音がしていましたが、しばらくするとシーンと静かになりました。「あれ、どうしたかな」と加減しておりますと、また係がやって来て、「皆さん落ち着かないので一階のロビーに下りてもらいました」とのことでした。「オレだけ置いていったか」と内心思いましたが、係が「方丈様はどうなさいます」と言うので、「いや、もうおさまるだろうから、ここで待ってるよ」と答えました。

衣とお袈裟を着けてしまってはジタバタできませんから、そこでそのまま待っておりました。二十分ほどの遅れで、お通夜のお勤めをはじめました。お勤めの最中にも二度ほど余震があり、一度などは洒(しゃ)水器に入っていた清めの水がこぼれましたが、お位牌が倒れるわけでもなく、感じたほどの揺れではなかったようです。

お参りの方々は、揺れが始まりますとザワザワと落ち着かなくなられましたが、こちらはお経の途中で逃げ出すこともできませんし、そのまま続けておりました。正装をし、お勤めをしておりますと不思議と腹が据わるものです。

七時半頃、お寺に帰りますと、地震のせいか、定例の参禅会にはO君という青年しか来ておりませんでした。「坐禅中には地震が来ても逃げられないねえ」と私が申しますと、彼は「いや、私は足がしびれて立てませんからどうせ逃げられません」と言って二人で顔を見合わせて笑いました。

坐禅の姿は覚悟の姿勢です。足を組み、手を組んでいますから、すぐに立って逃げ出すことはできません。すべてを仏様に、宇宙の営みに任せきった姿です。

お釈迦様の教えは、毎日覚悟だということです。覚悟覚悟の連続で毎日を前向きに生き抜けといわれるのです。

明日、命がある保証はどこにもありません。今年こそ日々覚悟して参りましょう。

平成17年1月1日記

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坐禅の功徳ー平成16年8月1日記ー

「坐禅をして健康になりたい」「坐禅をして集中力がつけたい」「坐禅をして腹のすわった人間になりたい」等々、坐禅会に来られた動機をおたずねいたしますと、様々の答えが返って参ります。

確かに坐禅は、健康維持に役立つと思いますし、集中力がつく方もおられるでしょうし、落ち着きが出てあわてなくなり腹がすわるということもあるでしょう。ただ、何でもそうでしょうが、効果が現れるまでには根気強く、粘り強く行うことが必要で、最初の内は効果が目に見えてめきめき感じられることはまれかもしれません。

坐禅に長く親しむ方々の共通点は、動機に関係なく、やがて坐禅そのものが好きになることです。坐禅をすると気が晴れる、嬉しくなる、ストレスが発散されるような気がする、等、表現はいろいろでしょうが、とにかく楽しいという意味のことをいわれます。

ところで、坐禅の意味ということになると、それは宇宙の真実にどっかりと坐り込むことだ、とか、身も心も仏(宇宙の真実)にお任せすることだ、とか、何かわかったようなわからないようなことを、私自身もついついいってしまっています。

道元禅師は、「只管打坐(しかんたざ)」といわれます。「ただ坐る」ことと、私は理解しています。坐禅にたいそうな思想的な意味などないのです。人生も同様です。元々、人生に意味などありません。霊長目ヒト科ヒト種としての生命を持った個体としてただ生きるのが、人生です。ところが、人間には何かあてがないと良くは生きられないものです。ここに「人生の意味」が必要になってきます。「人生の意味」は自分で考え出すもの、創造するものなのです。

毎年一回、「名人と一緒に学ぼう」という体験学習の講師として、御免町小学校に「坐禅名人」として呼ばれるようになって五年になりました。今年は、七月五日におじゃまして、二年生の希望者十一人と一緒に坐禅をしてきました。「静かに坐禅してたら、いつもは聞こえない鳥の声や電車の音、風の音が聞こえて、すごく落ち着ついたよ」というような感想がありました。「坐禅の功徳」としては、これでじゅうぶんではないでしょうか。

たんたんと日送りをする、いろいろなことがあるが引っかかりすぎず毎日を平穏無事に過ごす、ことが人生の極意であり、それを象徴的に行ずるのが坐禅なのかもしれません。

平成16年8月1日記

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申年ー平成16年1月1日記ー

新年明けましておめでとうございます。

今年は申年です。

申(猿)と言えば思い出すのは、「見猿、聞か猿、言わ猿」という諺です。「自分に都合の悪い(自分の心をまどわす)ものや他人の欠点は見ない、聞かない、言わないのが無難だ」という意味だそうです。一種の処世訓だと思います。

しかし、今はこれとは逆のことをするのが大切なような気がします。

何でもよく見、よく聞き、よく考えた上で、言う(主張する)べきだと思います。自分に都合の悪い、自分の心をまどわすものも見、聞き、考えた上で、言うことも選択肢の一つとして考慮に入れ、最良の道を選び取る。他人の欠点をよく見、聞き、場合によっては納得のいくまで話し合った上で認める。こういった態度が大切です。

特に国際社会では、環境・文化の違う者同士が交流することになります。日本列島という共通の容(い)れもので生きてきた日本人ならば、都合の悪いことにはフタをしてもうまくやっていけることもあるかもしれません。しかし、共通の土台のないもの同士では、あらゆる要素をよく見て、聞いて、考えて、場合によっては、言い合う(話し合う)ことが必要不可欠だと思います。

今年は「よく見る猿(人)、よく聞く猿(人)、よく言う猿(人)」で参りましょう。

平成16年1月1日記

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「形」の大切さー平成15年8月1日記ー

子どもたちの不登校やいじめ、果ては殺人などの凶悪な暴力事件が後を絶ちません。それどころか、おとなに成りきれないおとなたちによる凶悪事件も頻発しています。

これらに共通しているのは、他人との関係、関わり方、つき合い方のまずさ、稚拙さです。それは、結局他人の気持ちがわからないことによるのだと思います。

友だちと面と向かって話すより、携帯電話で話す方がよいという若者が増えていると聞きます。

私たちでも、電話なら言えるという場合があります。しかし、それは内容が相手にとって受け容れがたかったり、ずうずうしいことを依頼したりする場合であって、親しい友だちとの会話はやはり顔を突き合わせて、相手の表情、身振り手振り、姿勢や服装などを見ながらでないと楽しさも半減するような気がします。

携帯電話での会話と面と向かっての会話との違いは、お互いの立ち居振る舞いが見えるかどうかです。この立ち居振る舞いを、日本の文化は大切にしてきたはずです。

ちょっと考えてみても、古典芸能やお稽古ごと、各種武道など、まず立ち居振る舞いの「形」を徹底的にたたき込まれます。たとえば、茶道は合理的で無駄のない洗練された動作の「形」にその真髄があるのではないでしょうか。

短歌や俳句を詠むというのも、身体全体ではありませんが、口や手を使って行う立ち居振る舞いであり、音の数や枕詞、季語など修辞的な「形」が決まっています。

実例を上げればきりがありませんが、このように日本の文化は「形」を大切にしてきましたし、その「形」が日本文化のいのちなのだと思います。

実は、永平寺での修行でも、まず「形」を徹底的に教え込まれます。それは、「威儀即仏法」と言われます。

「威儀」は一般には「いぎ」と読みますが、私たちは「いいぎ」と読み、服装の種類やその着方、着用の様子、また身体の動かし方・立ち居振る舞いを言います。

つまり、日常の姿形・立ち居振る舞いが、そのまま仏の教えであり、仏の教えを実践することだというのです。

法衣・お袈裟の着け方から始まって、坐禅の仕方、礼拝の仕方、お経のあげ方、食事の仕方、手洗いの使い方、風呂の入り方、掃除の仕方、挨拶の仕方、電話のかけ方、就寝にいたるまで、一日二十四時間、一年三百六十五日の進退作法をみっちりと仕込まれます。

三月に永平寺に上山し、初めてお盆に帰ってきたとき、亡くなった師匠は、私の合掌の仕方を見て、「お前も僧侶になったな」と喜んでくれたものです。

ところで、そんな形ばかりを追いかけていて、宗教的な精神性は養われるのか、といぶかる向きもあろうかと思います。

しかし、宗教は思想ではありません。実践が伴ってこそ宗教であり、生活そのものが宗教です。

また、理解するというのは入力と出力が自動車の両輪のようなものです。情報を脳に入力し、その情報をもとに実際に行うという出力ができて初めて理解したということになります。「できて」初めて「わかった」ということになるのです。

数学や哲学などは、頭の中だけで情報の入出力をしていますが、一般には出力は身体の処し方、日常の立ち居振る舞いという形になります。したがって、頭の中で考えていることが立ち居振る舞いという形で外に現れるわけです。

「人の気持ちがわかることが大切だ」とよく言われます。しかし、人の気持ち、つまり人の頭の中を直接見ることはできません。その人の気持ちは、その人の表情や動作などから推定するしかないわけです。そして、こういう表情や動作をしているとき、人はどのような気持ちでいるのか、ということがわかるには、自分が同じような表情や動作をしているとき自分の心はどうなっているかを知らねばなりません。

しかし、残念ながら自分のことを見ることはできないのです。そこで、他人と同じ動作、立ち居振る舞いを行い、そのとき自分はこういう気持ちでいるから、他人も同じような気持ちなんだろうなと推定するしかないわけです。つまり、「形」を追体験することによって、たとえば同じように行じてきた過去の仏や祖師の気持ち、悟りを理解するということになります。

永平寺で「威儀即仏法」というのはこのような意味なのだと思います。

小さいときは、友だちと一緒にお遊戯をしたり、前ならえをして整列したり、家庭では同じものを同じ食卓について、家族一緒に手を合わせて「いただきます」と食事をいただいたり、同じことをするというのが貴重な経験だったのだろうと思います。

個性が重んじられる現代ですが、その前に他人と同じ動作、立ち居振る舞いを体験することにより、人の気持ちのわかる、もちろん完全にわかるなどというのは傲慢のきわみですが、少しでもわかるということが今必要とされているのではないでしょうか。

平成15年8月1日記

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昭和三十年代って?ー平成15年1月1日記ー

「昭和三十年代って、ものがない時代だったんだって?」

家内がテレビを見ながら、半信半疑な様子で問いかけてきました。どうも、昭和三十年代の日本の生活を復元したテーマパークが人気を呼び、入場者が増えているというニュースを見て言っているらしいのです。

私たち夫婦は、昭和三十年代前半の生まれで、家内は人ごとではないと考えたのだと思います。昭和三十二年頃の豊かな生活は、「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」の「三種の神器」があることで、昭和四十一年頃は「car(自動車)、cooler(クーラー)、colorTV(カラーテレビ)」の「3c」のあることと言われたそうです。逆に言えば、それぞれの時代には、一般家庭ではなかなか手に入らないものだったのだと思います。

現在から見れば当然のごとくあるものばかり、何台もある家がざらですし、同じものでもその性能には雲泥の差があります。何と日本国民はお金持ちになったことでしょう。けれども、不平不満が絶えません。どうしてなのでしょうか。 なぜ、昭和三十年代の生活を復元したテーマパークが人気なのでしょう。そこへ行くと、何となく豊かな幸せな気分になれるというのが理由のようです。ものがなかったのに豊かだったとはどういうことでしょうか。

家に帰ればお母さんがいて、明るい声で迎えてくれた。

チョコレートやバナナ、ケーキなどはたまにしか口に入らなかったけれど、手作りの味噌を付けたおにぎりや焼きおにぎりなどのおやつがあった。ビーフステーキはなかったけれど、豚肉のカレーライスがおいしかった。

近所の友だちや、上級生たちと缶蹴り、ビー玉、パッチ、野球など、日の暮れるまで遊べてほんとうに楽しかった。

東京オリンピック、東海道新幹線など、日本が世界の先進国に仲間入りするイベントがあった。

当時の思い出は人によって微妙に違ってくると思いますが、ものがなかったことで、もののありがたみを感じることができ、右肩上がりに生活がよくなっていく希望があったような気がします。また、子どもにはわからなかったのかもしれませんが、冠婚葬祭の手伝いなどで地域の共同体もしっかりと機能していたのではないでしょうか。

時間と場所、人間関係が豊かにあったような気がします。

現在はどうでしょうか。ゆっくりと考えてみたいものです。

平成15年1月1日記

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お盆に思う環境問題 ー平成14年7月15日記ー

環境倫理学

一九七〇年代、地球規模で環境問題が注目され始めた頃、アメリカで環境倫理学という思想が生まれました。これは、何故人間が環境を破壊してしまうのか、環境を保護する有効なシステムはあるのか、などを追求解明しようというものです。つまり、「環境は当然守らなくてはならない」という前提に立ち帰って吟味検討してみようというのです。

「そんなことは今更考えるまでもないことだ。環境を守らねばならないのは当然のことで、それよりも具体的な方策を考えることにエネルギーを割いた方が良い」と言う方もおられるでしょう。しかし、口ではそう言っても、実際に自分の身に引き当て、切実な重大問題として行動している方がこの地球上では何人いるのでしょうか。私自身、時々気持ちが揺らぐことがあります。

先日、知り合いの方が自動車を貰ってくれる人はいないかというのです。それは、外車で新しいものではありませんが、元々が頑丈なことで定評がある車種ですので、まだまだ安全快適に乗ることができるものです。しかし、問題はエンジンがディーゼルエンジンだということです。最近のディーゼルエンジンは、小型のものはかなり排気ガスもきれいになったそうですが、この当時のものはまだまだ有害な窒素酸化物などを大量に排出するのです。家内が運転免許を取得すれば、もう一台の自動車は重宝するだろうなあと思い、貰おうかと少し考えてしまいました。けれども、環境のことを考えれば、もう二十万キロも走って十分に元を取った自動車ですし、エアコンのフロンガスをしっかりと処理して廃車になさればと勧めるべきだと思い直しました。

また、廃車に関連して言えば、廃棄物の処理費を負担してくれと言われると、処理費がもったいないと未だに考えてしまいます。このような考え方がゴミの不法投棄を招く原因の一つになっているのではないでしょうか。

つまり、環境に対する私たちの意識がまだまだ甘いということです。それは、環境を守らねばならないという前提を真に理解していないことによると言っていいと思います。断固とした決心を持ち続けるためにも、また対策を考えるためにも環境倫理学は有効な道具になり得ると言っていいでしょう。

さて、環境倫理学は次の三つの問題を指摘しています。

  1. 自然の生存権の問題
  2. 世代間倫理の問題
  3. 地球全体主義

世代間倫理の問題

この中から、ここでは2、の世代間倫理の問題を考えてみましょう。

世代間倫理の問題とは、簡単に言えば現代の私たちが有限な資源を使い果たしてしまう、あるいは環境を破壊してしまうことによって、未来の人たちの生存の可能性を著しく損なってしまうということです。

現代の文化は、今という時間を共有しているもの同士の関係で築かれています。 例えば、結婚はかつて家同士の問題でした。「家」というのは、過去から現在、そして未来へと続いていく存在です。ご先祖様方の命や築いてきたものが現在の私たちに受け継がれ、私たちはそれを未来の子孫たちに渡していくいくという、いわば縦の時系列を軸に展開するシステムでした。過去から恩恵を受け、未来に責任を持たなければならなかったのです。

ところが、現在の結婚は同時代を生きる当人同士の問題となっています。そのため、過去からのしがらみからは自由になりましたが、同時に未来に対しての責任を放棄する結果にもなっています。

こういった「家」をその中に含む制度がいわゆる「封建制度」です。これは人口も増えず、経済成長もしないという定常的な社会では有効ですが、現代のような社会では機能しないということになります。江戸時代が最高のリサイクル社会であったという内容の本を目にしますが、そのままでは現代社会には適用できないわけです。

それでは、如何なる思想が世代間倫理の問題に有効なのでしょう。

縁起の理法

現在の私たちという存在、あるいは便利で快適な生活、自由な社会などはなぜあるのでしょうか。

私たちが努力した結果でしょうか。もちろん、一部はそうでしょう。しかしそれとて、はるか昔にご先祖様がおられ、ご先祖様方の長い長い営みによる成果があり、その上に成り立っているものです。

このように、主な原因とそれを助ける縁から結果が生じ、その結果が原因や助縁になり、再び結果を生じ、また再び……という無限の連関を仏教では縁起と呼んでいます。

元々は、無明から苦を生じる過程として、また逆に苦を解消する仕組みとしてお釈迦様が発見され、お悟りを開かれたものなのですが、この宇宙全体のあり方そのものが縁起であると言っていいと思います。あらゆるものが縁起しているのです。

ですから、私たちはあらゆるものから恩を受けているわけで、人間ならばそれに報いるべきだと思います。それは例えば「お蔭さまで」という感謝のことばに端的に表現されています。

ところが、残念なことに現代社会は、この縁起の時系列的な面は無視してしまい、現在存在するものの関係だけで事足れりとしてしまっています。

例えば、アメリカを発端にして、知的所有権の問題が云々されています。新しい発見や発明、創造の価値を認め、その所有権を確立しようというのです。当然のことだと思いますが、それはかなり厳しい制約を受けてしかるべきと考えます。と言うのも、新しいと言っても、それは先人の成果の上に積み上げられたものだからです。しかも、その発明者なり発見者は何らの支払いもせず、それを利用し成果を上げたのです。ところが、知的所有権を強化するというのは、歴史的な経緯を無視し、ただ現在のことのみに光を当てることになってしまいます。

そのため、縁起によって過去から受けた恩を未来に縁起させようとは考えないのです。しかし、縁起というのは私たちの考えとは関係なくはたらいていきます。したがって、私たちが資源を使い尽くしたり、環境を破壊し尽くしてしまえば、必ず未来の人々はその生存を脅かされ、悲惨な生活を余儀なくされることになります。

お盆の心

皆様方はどの様なお気持ちでお盆のお墓参りをされるのでしょうか。それは、ご先祖様に対する敬いや感謝の気持ちからだと思います。

私たちはまず、ご先祖様の命や営みの成果が縁起によって次々と引き継がれ、そのお蔭で今の私たちがあることに思いを致し、感謝すべきです。次に感謝の気持ちを表すには、私たちがご先祖様から受けたと同じように、今度は未来の人たちに、つまり私たちをご先祖様とする子孫に良き成果を残さなくてはなりません。 ご先祖様に報恩感謝の信を捧げ、ご供養申し上げるお盆の心こそが、世代間倫理の問題を解決する鍵であろうと思います。

(加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫、1997)、同『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー、H3)を参考にしました)

平成14年7月15日記

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欲望についてー平成14年1月1日記ー

短大で哲学を教えるようになって十年以上になります。この間、バブルに踊った日本では本当の「豊かさ」とは何かが問題にされ、バブルのはじけた現在でも時折、話題に上っています。そんなこともあり、「豊かさについて」というテーマを講義の一環として話しています。中村行秀著『哲学入門』(一九八九年、青木書店)を参考にしていますが、それによれば、(生活の)豊かさ=ゆとり=自由=平等であり、その社会に実現されている平等さの程度が高ければ高いほど、より豊かな生活と言えると示されています。

また、心の「豊かさ」は、自由を実現するような心のあり方であり、エンゲルスのことばを引用し次のように示しています。

「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである」

このように、物心両面とも豊かさの鍵は「自由」にあると言えそうです。実は、お釈迦様も自由にやりなさいと言われます。お釈迦様の死期が迫り、弟子の阿難尊者の求めに応じ、自らの亡き後は、「自己と法をよりどころとして」生きていきなさい、と述べられます。(中村元訳『ブッダ最後の旅』、岩波文庫)「法」とは、宇宙の真実であり、それはお釈迦様の教えに示され、お釈迦様の教えに従って毎日の生活を実践していけば、自己の生活の中に実現されるものですから、自己と法をよりどころにするというのは、法に従って生きていこうする自己をよりどころにするということになります。「自由」とは、「自らに由る」ということですから、私は右のお釈迦様の教えを「自由にやりなさい」ということだと理解しています。

さて、自由に生きるについて最重要のお釈迦様の教えとは何でしょうか。やはり、欲望の抑制についてのものだと思います。自由は自分が好き勝手にできることです。欲望通りにできることです。しかし、これはあらゆる人々について平等に言えることです。つまり、自分が好き勝手に振る舞うことによって他人の好き勝手に振る舞うことを妨げてはならないということです。太郎君が花子さんのことを好きになるのは勝手だけれども、花子さんが太郎君のことを好きになるのも勝手なことなので、自分がこんなに好きなんだから、相手も当然自分のことを好きにならなくてはならないということは成り立たないということです。ところが、相手が振り向いてくれないことを逆恨みして殺してしまう事件が起きたりします。欲しいものを手に入れるためにお金が足りず、人から盗んだり、殺人を犯したり、そこまでいかなくとも、お金を借り過ぎて返済できず、自己破産したり、自殺したりと、自由の暴走、欲望の暴走が引き起こす悲惨な事件が後を絶ちません。

お釈迦様は言われます。

田畑、宅地、黄金、牛や馬、奴婢、雇い人、女性、親族、その他いろいろな欲望に執着している人は、その欲望にふりまわされ、危難に踏?ンにじられる。すると難破船に水が浸入するように、その人に苦がつきまとう。
だからこそ、人は常に正しい念いを保ち、欲望を避けるべきである。船のたまり水をかいだすように欲望を捨て、流れを渡って彼岸に到るがよい。(『スッタニパータ』七六六?七七一。奈良康明訳、『仏教と人間』、東京書籍)

そして、欲望を起こすのも、苦しむのも他人ではなく、自分なのです。

貪り、怒りや憎しみは自己が原因である。好き嫌いと身の毛もよだつ恐怖とは自己から生ずる。もろもろの妄想は自己から起こり、(あてもなく)心をうろつかせる。…それらは愛欲から生じ、自己から育つ。(『スッタニパータ』二七一?二七二、奈良訳、同書)

しかし、「自由(欲望)」はまことに魅力的で私たちを誘惑します。

まことに欲望は色とりどりに美しく、甘美で、心に楽しい。種々のかたちをとって(現れ)、心を撹乱する。(『スッタニパータ』五〇、奈良訳、同書)

だからこそ、でき得る限りの強固な決心を持ち、挫けそうになったら、あるいは挫けてしまっても、あきらめず何度でもまた決心を新たにして、欲望に振り回されないように気を付けていかねばならないのだと思います。

ここで注意していただきたいのは、欲望は決して悪いものではないということです。欲望がなければ、進歩はありませんし、生きる意欲さえなくなってしまうことになるからです。問題は、欲望に支配され、翻弄されてしまうことです。お釈迦様は、欲望を全くなくしてしまえとか、ゼロにしろとかとは言われません。欲望を自分の自由にコントロールしろと言われるのです。これは、前に述べたエンゲルスのことばに通じると思います。

大切なのは、自分を深く見つめ、自分に振り回されず、自分を自分の自由にコントロールすること、できることだと思います。

「宗教の時代」と言われて久しくなりました。欲望、自由、自己のあり方を深く見つめ、自己を欲望から解放することによって真の自由を手に入れることは宗教によってのみ可能であると思います。この意味で、皆さんには信心深くなっていただきたいと切に望んでおります。

日々正しく学び、自由に生きて参りたいものです。

平成14年1月1日記

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