短大で哲学を教えるようになって十年以上になります。この間、バブルに踊った日本では本当の「豊かさ」とは何かが問題にされ、バブルのはじけた現在でも時折、話題に上っています。そんなこともあり、「豊かさについて」というテーマを講義の一環として話しています。中村行秀著『哲学入門』(一九八九年、青木書店)を参考にしていますが、それによれば、(生活の)豊かさ=ゆとり=自由=平等であり、その社会に実現されている平等さの程度が高ければ高いほど、より豊かな生活と言えると示されています。
また、心の「豊かさ」は、自由を実現するような心のあり方であり、エンゲルスのことばを引用し次のように示しています。
「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである」
このように、物心両面とも豊かさの鍵は「自由」にあると言えそうです。実は、お釈迦様も自由にやりなさいと言われます。お釈迦様の死期が迫り、弟子の阿難尊者の求めに応じ、自らの亡き後は、「自己と法をよりどころとして」生きていきなさい、と述べられます。(中村元訳『ブッダ最後の旅』、岩波文庫)「法」とは、宇宙の真実であり、それはお釈迦様の教えに示され、お釈迦様の教えに従って毎日の生活を実践していけば、自己の生活の中に実現されるものですから、自己と法をよりどころにするというのは、法に従って生きていこうする自己をよりどころにするということになります。「自由」とは、「自らに由る」ということですから、私は右のお釈迦様の教えを「自由にやりなさい」ということだと理解しています。
さて、自由に生きるについて最重要のお釈迦様の教えとは何でしょうか。やはり、欲望の抑制についてのものだと思います。自由は自分が好き勝手にできることです。欲望通りにできることです。しかし、これはあらゆる人々について平等に言えることです。つまり、自分が好き勝手に振る舞うことによって他人の好き勝手に振る舞うことを妨げてはならないということです。太郎君が花子さんのことを好きになるのは勝手だけれども、花子さんが太郎君のことを好きになるのも勝手なことなので、自分がこんなに好きなんだから、相手も当然自分のことを好きにならなくてはならないということは成り立たないということです。ところが、相手が振り向いてくれないことを逆恨みして殺してしまう事件が起きたりします。欲しいものを手に入れるためにお金が足りず、人から盗んだり、殺人を犯したり、そこまでいかなくとも、お金を借り過ぎて返済できず、自己破産したり、自殺したりと、自由の暴走、欲望の暴走が引き起こす悲惨な事件が後を絶ちません。
お釈迦様は言われます。
田畑、宅地、黄金、牛や馬、奴婢、雇い人、女性、親族、その他いろいろな欲望に執着している人は、その欲望にふりまわされ、危難に踏?ンにじられる。すると難破船に水が浸入するように、その人に苦がつきまとう。
だからこそ、人は常に正しい念いを保ち、欲望を避けるべきである。船のたまり水をかいだすように欲望を捨て、流れを渡って彼岸に到るがよい。(『スッタニパータ』七六六?七七一。奈良康明訳、『仏教と人間』、東京書籍)
そして、欲望を起こすのも、苦しむのも他人ではなく、自分なのです。
貪り、怒りや憎しみは自己が原因である。好き嫌いと身の毛もよだつ恐怖とは自己から生ずる。もろもろの妄想は自己から起こり、(あてもなく)心をうろつかせる。…それらは愛欲から生じ、自己から育つ。(『スッタニパータ』二七一?二七二、奈良訳、同書)
しかし、「自由(欲望)」はまことに魅力的で私たちを誘惑します。
まことに欲望は色とりどりに美しく、甘美で、心に楽しい。種々のかたちをとって(現れ)、心を撹乱する。(『スッタニパータ』五〇、奈良訳、同書)
だからこそ、でき得る限りの強固な決心を持ち、挫けそうになったら、あるいは挫けてしまっても、あきらめず何度でもまた決心を新たにして、欲望に振り回されないように気を付けていかねばならないのだと思います。
ここで注意していただきたいのは、欲望は決して悪いものではないということです。欲望がなければ、進歩はありませんし、生きる意欲さえなくなってしまうことになるからです。問題は、欲望に支配され、翻弄されてしまうことです。お釈迦様は、欲望を全くなくしてしまえとか、ゼロにしろとかとは言われません。欲望を自分の自由にコントロールしろと言われるのです。これは、前に述べたエンゲルスのことばに通じると思います。
大切なのは、自分を深く見つめ、自分に振り回されず、自分を自分の自由にコントロールすること、できることだと思います。
「宗教の時代」と言われて久しくなりました。欲望、自由、自己のあり方を深く見つめ、自己を欲望から解放することによって真の自由を手に入れることは宗教によってのみ可能であると思います。この意味で、皆さんには信心深くなっていただきたいと切に望んでおります。
日々正しく学び、自由に生きて参りたいものです。
平成14年1月1日記
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