あけましておめでとうございます。
世界的指揮者の小澤征爾さんが、過労のため、帯状疱疹を発症し休養したことがありました。
過労の原因は、「歳をとったら教えることが好きになり、仕事の量を減らさずに、休暇の時に教えていたため」というようなことを言っておられました。
小澤さんはなぜ、教えることが好きになられたのでしょう?それは、後継者が欲しくなったためではないかと想像します。ご自分では意識はされておられないのでしょうが、ご自分の技術、つまり生命を後世に伝えたいと考えるようになられたのだと思います。自分が死んでも、自分の生命は後継者に受け継がれ、それがまた伝えられれば、永遠に生き続けることができます。
元旦の朝には「おめでとう」と挨拶をかわします。別にいつもと同じように一日が明けただけなのですが、新しい一年は、生命の持続性と再生を感じさせてくれるのでしょう。特に、昔は正月になると一つ年齢が増えたわけですから尚更です。
私たち僧侶も弟子を育成することはたいせつな勤めです。
私どもの開祖道元禅師の本師は、天童如浄(てんどうにょじょう)という宋の禅僧です。如浄禅師は、道元禅師の師であることで中国禅宗史上で重要な人物とされています。もしも、道元禅師という弟子がいなければ、歴史に名前をとどめることはなかったでしょう。弟子が偉いと、師も偉くなるのです。
私の師匠は、「弟子がいないものは禅僧として失格だ」としばしば申しておりました。私のような不肖の弟子でもいないよりはましと開き直っています。そんな私にも弟子ができました。二男坊の大倫の得度式を昨年の十月十三日に勤めることができ、私にとっては嬉しい限りで、昨年最大のできごとでした。これも、檀信徒の皆様、また近隣ご寺院のお蔭と感謝しております。まだ十五歳の子どもです。山のものとも海のものともわかりませんが、仏弟子としてたいせつに育てていきたいと思っています。あたたかく見守っていただければ幸いです。
育て伝えるといえば、今年七百年の遠忌を迎える永平寺の三世、徹通義介(てっつうぎかい)禅師を忘れることはできません。
道元禅師から瑩山(けいざん)禅師へと曹洞宗を手渡したのが徹通禅師です。
徹通禅師は、永平二世孤雲懐弉(うんえじょう)禅師と同様、日本達磨宗という禅宗の一派に属する僧侶でした。達磨宗の開祖大日能忍(だいにちのうにん)は師なくして悟った(無師独悟)とされ、そのせいで比叡山や栄西、日蓮などから批判され、迫害を受けますが、道元禅師だけは達磨宗の僧侶たちを厚遇しました。そして、徹通禅師は兄弟子の懐弉禅師のすすめもあり、他の道友たちとともに道元禅師の弟子となります。
永平寺で、徹通禅師は、修行僧の食事を作る典座(てんぞ)の職と事務の総責任者である監寺(かんす)の職を兼務し、献身的に務められました。しかし、道元禅師の法を嗣ぐことはまだ許されていませんでした。病気療養のため上洛される道元禅師は、永平寺に帰ったら嗣法を行うことを約束し、永平寺の留守を徹通禅師に命じ、その折「老婆心(ろうばしん)」が足りないことを諭されます。
「老婆心」とは、老婆のような行き届いた親切心のことです。おそらく、徹通禅師という方は、ひじょうに優秀な辣腕家で、どんな仕事でもてきぱきと的確にこなされたのでしょう。反面、強引なところがあったり、独善的になられたようなこともあったのでしょう。そんな徹通禅師に対する道元禅師の忠告だったのだと思います。
残念ながら、道元禅師はふたたび永平寺にお帰りになることはなく、彼の地で亡くなられます。その後徹通禅師は、懐弉禅師から法を嗣がれます。
徹通禅師は懐弉禅師の命により、伽藍等の調査のため京都や鎌倉をまわられ、入宋されて、「五山十刹図(ござんじっさつず)」(重要文化財)を作成し、永平寺の伽藍を整備するなど、懐弉禅師から絶大な信頼を寄せられていたに違いありません。
そして、文永四年(一二六七)永平寺三代目の住職となられます。徹通禅師の力で永平寺は面目を一新、充実したため「中興」と呼ぶべきだという意見まで出たそうです。
しかし結局、徹通禅師は永平寺を出てしまうことになります。理由は明らかではありませんが、道元禅師亡き後、感情的・思想的・派閥的対立がくすぶっていて、ついにそれが徹通禅師をめぐって激しくなり、徹通禅師自ら身をお引きになられたのでしょう。
実務家で切れ者の徹通禅師に対する嫉妬心、徹通禅師が達磨宗の法統も受けついでいることへの批判などが渦巻いて収拾がつかなくなってしまったのでしょうか?
永平寺を出られた徹通禅師は、弟子瑩山禅師を伴に加賀に移られ、大乗寺(だいじょうじ)を開創されます。
この瑩山禅師が総持寺を開かれ、現在の曹洞宗の基礎を作ります。結果論でしかありませんが、徹通禅師が永平寺を出られたこと、そして当時二十歳前後であった瑩山禅師がこの事件を目の当たりにし、その体験を教団運営に生かしたことが、その後の曹洞宗の発展を導いたのではないでしょうか。
現在の曹洞宗僧侶のほとんどは、道元禅師―懐弉禅師―徹通禅師―瑩山禅師の流れを汲んでいます。道元禅師の仏法が現在に伝えられたのは、永平寺を去られたにもかかわらず、瑩山禅師というお弟子を育てられた徹通禅師のご功績に負うところが少なくないと言ってよいでしょう。
宝光寺では徹通禅師のお徳をお偲び申し上げるべく、永平寺・大乗寺などへの参拝旅行を企画いたしました。病気療養のため上洛する道元禅師を、徹通禅師が最後に見送られた木ノ芽峠にも参ります。お誘い合わせの上、ご参加ください。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2008年1月1日記
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