現代社会において、倫理的に生きることは至難のわざとなりつつあります。
「倫理」とは、『大辞林 第二版 (三省堂)』に「人として守るべき道。道徳。モラル」と示してあります。人と人との関係・秩序を良好に維持する原理が「倫理」であり、その起原・発達・本質等を研究するのが「倫理学」で、論理学・美学とともに哲学の三大部門とされています。
科学技術が高度に発達し、流動性が高まり・価値観の多様化した現代社会では、「倫理」も流動的・相対的にならざるを得ないようです。ざっと考えてみても、臓器移植・遺伝子治療・クローン・安楽死・尊厳死・代理母、死刑廃止論・セクハラ・体罰・いじめ等々、一筋縄では解決できない重要かつ深刻な問題が山積しています。倫理学の果たす役割がますます重要になるとともに、「倫理」を考えることが一般人にも要請されるようになっていると思います。
ところで、「宗教」の倫理と「世間」の倫理は必ずしも一致しません。悟った人が世間的・社会的に「善人」とは限らないのです。宗教が反社会的行為をするのはこの為です。輸血を受けないとか、既に死亡した人を生きているとみなしたり、というのは極端な例ですが、ダライ・ラマ十四世は中国政府や国民からは、勝手に亡命して税金を納めないけしからん奴だと思われているでしょう。しかし、彼らは宗教的には正しいことをしているのです。私どもの宗祖道元禅師は京都を追われ、法然・親鸞・日蓮はいずれも島流しに遭っています。彼らの教えは、当時の社会規範からは危険視されたのです。
「宗教」の倫理は、「出世間」あるいは「超世間」であり、「世間」的な尺度とは物差しが異なるのです。宗教の価値基準は「あの世の論理」であり、一般の価値観は「この世の論理」と言ってもよいでしょう。
それでは、ごく一般的な社会生活を送る大多数の人々には、宗教の倫理は無関係かと言えば、そうではありません。生者は生者同士だけで、生者との関係でだけで生きているわけではありません。死者との関係の中でも生きているのです。死者との関係こそが、大多数の人にとっての「超倫理」であり、「超世間」なのです。
昨年も多くの親しい方々との別れがありました。会者定離は、百パーセント実現する絶対のこととはいえ、やはり寂しく、時には不条理を感じることさえあります。
昨年の十一月には、お二人の方とお別れいたしました。上旬に、宝光寺の役員を長年勤めていただいた○○さん、そして下旬に義理の叔父で栃木県の○○寺の住職吉留誠道老師です。
吉留師には私が僧侶になり、修行に行く前からたいへんお世話になりました。お寺の後継者として育てられたわけではない私は、ごく普通の大学に行き、大学四年生の夏休みに先代住職の弟子になり、内定していた就職を断って永平寺に上山したのですが、衣の着方やお袈裟のつけ方、お経の読み方、作務の仕方など、基本的なことを何一つ知らず、大学に通いながら毎週土曜日になると興福寺に行き、さまざまのことを学びました。
春休みになると、一週間ほど興福寺に泊まり込み、修行に行くための最後の仕上げをし、そのおかげで何とか永平寺での修行を無事に終えることができたのだと思っています。
吉留師は、美術大学で学ばれたセンスを存分に発揮して、興福寺を檀家さんにとってのこの世の浄土とすべく努力してこられました。ご自分でデザインした仏具や設計した客殿・観音堂、墓地にはぼたんが咲き誇り、寺院のあるべき姿の一つがここにあると、私は考えています。
吉留師の葬儀の準備を手伝いながら、教えていただいたことをいくつか思い出しました。「一般のお寺は、本山とは違って檀家さんあってのものなのだから、とにかく檀家さんを大切に、檀家さんが喜ぶお寺作りをしなくちゃね」「檀家さんの事情をよく知って、困っているときはお互い様だからね」と、とにかくお檀家を大切にしておられました。
吉留師は六十五歳、いつでも会えると思っていて、六年前の宝光寺の客殿落慶法要以来、電話で話しただけで直接お会いすることもありませんでした。そのせいか、遷化(せんげ)されてからの方が身近に感じられるようになりました。師のことを思い起こせば、いつでも話すことができるからです。
私は吉留師の教えのどのくらいを実現できているのか、また実現できるのか、わかりませんが、師との対話を通して精進して参りたいと思っています。
皆様にも、亡きご家族・ご先祖様との対話を大切にしていただければ幸いです。
2007年1月1日記
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