環境倫理学
一九七〇年代、地球規模で環境問題が注目され始めた頃、アメリカで環境倫理学という思想が生まれました。これは、何故人間が環境を破壊してしまうのか、環境を保護する有効なシステムはあるのか、などを追求解明しようというものです。つまり、「環境は当然守らなくてはならない」という前提に立ち帰って吟味検討してみようというのです。
「そんなことは今更考えるまでもないことだ。環境を守らねばならないのは当然のことで、それよりも具体的な方策を考えることにエネルギーを割いた方が良い」と言う方もおられるでしょう。しかし、口ではそう言っても、実際に自分の身に引き当て、切実な重大問題として行動している方がこの地球上では何人いるのでしょうか。私自身、時々気持ちが揺らぐことがあります。
先日、知り合いの方が自動車を貰ってくれる人はいないかというのです。それは、外車で新しいものではありませんが、元々が頑丈なことで定評がある車種ですので、まだまだ安全快適に乗ることができるものです。しかし、問題はエンジンがディーゼルエンジンだということです。最近のディーゼルエンジンは、小型のものはかなり排気ガスもきれいになったそうですが、この当時のものはまだまだ有害な窒素酸化物などを大量に排出するのです。家内が運転免許を取得すれば、もう一台の自動車は重宝するだろうなあと思い、貰おうかと少し考えてしまいました。けれども、環境のことを考えれば、もう二十万キロも走って十分に元を取った自動車ですし、エアコンのフロンガスをしっかりと処理して廃車になさればと勧めるべきだと思い直しました。
また、廃車に関連して言えば、廃棄物の処理費を負担してくれと言われると、処理費がもったいないと未だに考えてしまいます。このような考え方がゴミの不法投棄を招く原因の一つになっているのではないでしょうか。
つまり、環境に対する私たちの意識がまだまだ甘いということです。それは、環境を守らねばならないという前提を真に理解していないことによると言っていいと思います。断固とした決心を持ち続けるためにも、また対策を考えるためにも環境倫理学は有効な道具になり得ると言っていいでしょう。
さて、環境倫理学は次の三つの問題を指摘しています。
1,自然の生存権の問題
2、世代間倫理の問題
3、地球全体主義
世代間倫理の問題
この中から、ここでは2、の世代間倫理の問題を考えてみましょう。
世代間倫理の問題とは、簡単に言えば現代の私たちが有限な資源を使い果たしてしまう、あるいは環境を破壊してしまうことによって、未来の人たちの生存の可能性を著しく損なってしまうということです。
現代の文化は、今という時間を共有しているもの同士の関係で築かれています。
例えば、結婚はかつて家同士の問題でした。「家」というのは、過去から現在、そして未来へと続いていく存在です。ご先祖様方の命や築いてきたものが現在の私たちに受け継がれ、私たちはそれを未来の子孫たちに渡していくいくという、いわば縦の時系列を軸に展開するシステムでした。過去から恩恵を受け、未来に責任を持たなければならなかったのです。
ところが、現在の結婚は同時代を生きる当人同士の問題となっています。そのため、過去からのしがらみからは自由になりましたが、同時に未来に対しての責任を放棄する結果にもなっています。
こういった「家」をその中に含む制度がいわゆる「封建制度」です。これは人口も増えず、経済成長もしないという定常的な社会では有効ですが、現代のような社会では機能しないということになります。江戸時代が最高のリサイクル社会であったという内容の本を目にしますが、そのままでは現代社会には適用できないわけです。
それでは、如何なる思想が世代間倫理の問題に有効なのでしょう。
縁起の理法
現在の私たちという存在、あるいは便利で快適な生活、自由な社会などはなぜあるのでしょうか。
私たちが努力した結果でしょうか。もちろん、一部はそうでしょう。しかしそれとて、はるか昔にご先祖様がおられ、ご先祖様方の長い長い営みによる成果があり、その上に成り立っているものです。
このように、主な原因とそれを助ける縁から結果が生じ、その結果が原因や助縁になり、再び結果を生じ、また再び……という無限の連関を仏教では縁起と呼んでいます。
元々は、無明から苦を生じる過程として、また逆に苦を解消する仕組みとしてお釈迦様が発見され、お悟りを開かれたものなのですが、この宇宙全体のあり方そのものが縁起であると言っていいと思います。あらゆるものが縁起しているのです。
ですから、私たちはあらゆるものから恩を受けているわけで、人間ならばそれに報いるべきだと思います。それは例えば「お蔭さまで」という感謝のことばに端的に表現されています。
ところが、残念なことに現代社会は、この縁起の時系列的な面は無視してしまい、現在存在するものの関係だけで事足れりとしてしまっています。
例えば、アメリカを発端にして、知的所有権の問題が云々されています。新しい発見や発明、創造の価値を認め、その所有権を確立しようというのです。当然のことだと思いますが、それはかなり厳しい制約を受けてしかるべきと考えます。と言うのも、新しいと言っても、それは先人の成果の上に積み上げられたものだからです。しかも、その発明者なり発見者は何らの支払いもせず、それを利用し成果を上げたのです。ところが、知的所有権を強化するというのは、歴史的な経緯を無視し、ただ現在のことのみに光を当てることになってしまいます。
そのため、縁起によって過去から受けた恩を未来に縁起させようとは考えないのです。しかし、縁起というのは私たちの考えとは関係なくはたらいていきます。したがって、私たちが資源を使い尽くしたり、環境を破壊し尽くしてしまえば、必ず未来の人々はその生存を脅かされ、悲惨な生活を余儀なくされることになります。
お盆の心
皆様方はどの様なお気持ちでお盆のお墓参りをされるのでしょうか。それは、ご先祖様に対する敬いや感謝の気持ちからだと思います。
私たちはまず、ご先祖様の命や営みの成果が縁起によって次々と引き継がれ、そのお蔭で今の私たちがあることに思いを致し、感謝すべきです。次に感謝の気持ちを表すには、私たちがご先祖様から受けたと同じように、今度は未来の人たちに、つまり私たちをご先祖様とする子孫に良き成果を残さなくてはなりません。
ご先祖様に報恩感謝の信を捧げ、ご供養申し上げるお盆の心こそが、世代間倫理の問題を解決する鍵であろうと思います。
(加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫、1997)、同『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー、H3)を参考にしました)
平成14年7月15日記
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