あけましておめでとうございます。
昨年は世界物理年という年でした。
アインシュタインとタゴールの対話を題材に、メールマガジン「読むと幸せになるメルマガ!」の第2号を配信し(内容は
「心」こそがすべてをお読みください)、それを元に法事のときの法話をしたところ、「今年は世界物理年という年だそうですよ」と教えていただきました。
「世界物理年」は、アインシュタインが光電効果の理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論という三つの革新的な論文を発表した1905年から百年を経たことを記念して、国際純正応用物理学連合が定めたものです。
昨年の後半は、強くというわけではありませんが、アインシュタインとタゴールの対話が頭にありました。そんな中、十二月十七日に放映された「世界ふしぎ発見!」というテレビ番組で、アインシュタインが訪日したときのエピソードが紹介されていました。不覚にも、それまでアインシュタインが訪日したことすら知らなかったのですが、彼は日本人の印象をこう記しています。
日本人は西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて科学に飛び込んでいます。けれども、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていた生活の芸術化、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものです。(アインシュタイン「日本における私の印象」)
厭味もなく、疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。(1922年12月10日付、アインシュタインの日記)
(いづれも出典は『アインシュタイン日本で相対論を語る』講談社)
最高の讃辞です。これ以上の称讃はないと思います。
しかし、「純粋な心」は、悪意を持った人間に付け入られ、利用されてしまう一面があり、危険をはらんでいます。悪用する方がもちろん悪いのですが、世の中そう甘くはありません。純粋な子どもがしばしば残酷な言動や行為に走り、若者が教義と称して殺人を犯したりすることがありますが、これは純粋さを悪用された例でしょう。
法華経(ほけきょう)の「如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)」にこんな一節があります。
「功徳を修(しゅ)し、柔和にして質直(すなお)なる者は 則ち皆、わが身、ここに在りて法を説くと見るなり。」(坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(下)』岩波文庫)
様々の苦労・善行をなし、その上で心が穏やかで謙虚で素直な人は、仏陀がここにおられて真実を説くことを見る、つまり幸せに生きていける、という意味です。
苦労をするとひねくれて頑固になり、素直さや純真さを失ってしまう場合があります。「柔和にして質直なる者」は、様々の苦難・苦労をへて、それでも素直・純真な人のことです。また、生来、素直で性質のよい人もおられますが、それもこの「柔和にして質直なる者」ではありません。
アインシュタインが見た日本人は、日本という恵まれた国土でぬくぬくと育った人間で、法華経の「柔和にして質直なる者」ではなかったのではないか、と私は考えます。たとえれば、赤子の素直さ純真さだったのかもしれません。とはいえ、当時の日本人が持っていた美徳はすばらしいもので、世界に誇るべきものだったと思います。そして、残念ながら、現在はその美徳が失われつつあります。私たちがめざすべきは、酸いも甘いもかみ分けて、その上で「柔和にして質直なる者」になることです。今年こそ、成熟した大人の日本人になりたいものです。
平成18年1月1日記
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