あけましておめでとうございます。
昨年は、水害に台風、地震と日本全国いたるところで災害が発生し、多くの方々が被災されました。謹んでお見舞い申し上げます。
いつの頃からか、「危機管理」という言い方を耳にするようになりました。初めて聞いたときに奇妙な言い方だと感じた記憶があります。なぜ奇妙に感じたのか、そのときには突きつめて考えなかったのですが、養老猛司さんの『まともな人』(中公新書)を読んで謎がとけました。
「危機とは、そもそも管理できない状態をいう。それを『管理する』とはどういうことか」と書いておられます。
管理できないから危機なのです。管理できれば、それはもはや危機ではないということです。
では、昔の人はどうしたか。養老さんによれば、「覚悟し」た、というのです。「覚悟」というのは、もともとは仏教語です。広辞苑を引きますと、「〔仏〕迷いを去り、道理をさとること」と書いてあります。
十月二十三日の中越地震発生の際、私は葬祭場におりました。檀家さんのお通夜のためです。お通夜は午後七時から行うことがほとんどですが、その日は土曜日ということもあり、六時開始の予定でした。
衣とお袈裟に着替えて式場の隣の控え室で待っておりましたら、最初に小刻みな縦揺れが起こり、続いてゆっくりとした横揺れが続きました。式場では、お参りの方々が騒いでおられました。係の者が参りまして、一緒にNHKテレビを見ましたが、すぐには正確な情報はつかめないようでした。「皆さん、落ち着かないのですがどうしましょう」と係が問うので、私も曖昧な返事をしておりました。「様子を見てきます」と言い置いて、係が出て行きますと、まもなく大きな余震が来ました。また隣の会場では、皆さんの騒ぐ声や音がしていましたが、しばらくするとシーンと静かになりました。「あれ、どうしたかな」と加減しておりますと、また係がやって来て、「皆さん落ち着かないので一階のロビーに下りてもらいました」とのことでした。「オレだけ置いていったか」と内心思いましたが、係が「方丈様はどうなさいます」と言うので、「いや、もうおさまるだろうから、ここで待ってるよ」と答えました。
衣とお袈裟を着けてしまってはジタバタできませんから、そこでそのまま待っておりました。二十分ほどの遅れで、お通夜のお勤めをはじめました。お勤めの最中にも二度ほど余震があり、一度などは洒(しゃ)水器に入っていた清めの水がこぼれましたが、お位牌が倒れるわけでもなく、感じたほどの揺れではなかったようです。
お参りの方々は、揺れが始まりますとザワザワと落ち着かなくなられましたが、こちらはお経の途中で逃げ出すこともできませんし、そのまま続けておりました。正装をし、お勤めをしておりますと不思議と腹が据わるものです。
七時半頃、お寺に帰りますと、地震のせいか、定例の参禅会にはO君という青年しか来ておりませんでした。「坐禅中には地震が来ても逃げられないねえ」と私が申しますと、彼は「いや、私は足がしびれて立てませんからどうせ逃げられません」と言って二人で顔を見合わせて笑いました。
坐禅の姿は覚悟の姿勢です。足を組み、手を組んでいますから、すぐに立って逃げ出すことはできません。すべてを仏様に、宇宙の営みに任せきった姿です。
お釈迦様の教えは、毎日覚悟だということです。覚悟覚悟の連続で毎日を前向きに生き抜けといわれるのです。
明日、命がある保証はどこにもありません。今年こそ日々覚悟して参りましょう。
平成17年1月1日記
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