「幸せ」には三つの段階・ステージがあると思います。
1相対的な幸せ、2絶対的な幸せ、3究極の幸せの三つです。
「相対的な幸せ」は、優越感から生じるものです。「究極の幸せ」は、人の役に立って感じる生き甲斐です。今回は、二番目の「絶対的な幸せ」についてお話ししたいと思います。
生(生れる)・老(年老いる)・病(病になる)・死(死ぬ)が、なぜ苦しみなのでしょう?すべて、この世に生を受ければ当たり前のことなのに、なせ苦しみなのでしょう?なぜ、「四苦」といわれるのでしょうか?
それは、あなたが苦しいと感じるから、考えるからです。生理的な痛みを感じれば、苦しいと思うのは当たり前です。しかし、痛みがなくとも、生老病死を苦しみと考えてしまっています。
ところで、人間以外の生きものは「幸せ」を感じるでしょうか?動物も「信仰」はあるそうです。昨年、ひとつがいのかぶと虫を買い求め、今年三十三匹のかぶと虫を羽化させることができました。次々と羽化したので、餌のゼリーを乗せる木の枝が足りなくなり、樫の葉で代用してみましたが、食べません。そこで、樫の葉を木の枝のそばに置き、木の枝にゼリーが接するように置いたら、食べてくれました。自分たちの餌は樹木にしか存在しないという、先祖代々の「信仰」があるようです。
信仰の対象はさまざまです。私は、お釈迦様の教えを信仰し、数学者は数学、科学者は科学を信仰しています。お金を信仰して、破綻してしまった人もいました。
このように人間も人間以外の生きものも信仰はします。しかし、「幸せ」を感じるのは人間だけのようです。
ネコを飼っています。「幸せ」に暮らせるようにとかわいがっていますが、「幸せ」を感じているのは、ネコではなくて飼い主の方です。どうも「幸せ」というのは、私たちの思考の産物のようです。頭で考えた「虚構」「作りごと」なのです。
「作りごと」は重要な役目をになっています。なぜ小泉総理大臣は総理大臣なのか?なぜ福沢諭吉の姿が印刷してある紙切れが一万円の価値を有するのか?それは私たちがそう考えているからです。なぜ私は宝光寺の住職なのか?それは檀信徒の皆さんがそう考えているからです。
このように、人間の社会は「作りごと」で成り立っています。「作りごと」を利用することによって無事に暮らしているのです。「幸せ」も作りごとです。したがって、「幸せ」だと思えば、「幸せ」になれるのです。
しかし、「思考」は変えがたいものです。人間は変化を嫌います。「幸せ」だと思えばよいといっても、たやすくできるものではありません。
そこで、「幸せ」だと思えるようになる方法の一つをお教えします。それは、他人を「ほめる」癖をつけることです。
何でもよいのです。たとえば、「今日の味噌汁もおいしいなあ!」くれぐれも「…味噌汁は…」と言ってはいけません。「昨日はまずかったのか」と言われますから、「今日も…」と言わねばなりません。
一日に五回以上、他人をほめなくてはならない、という規則の会社があります。儲かっているそうです。人間関係がまことにスムーズに機能していて、効率よく仕事をこなせるからだそうです。
道元禅師は「愛語能(よ)く廻(かい)天の力あることを学すべきなり」と言われます。
真心からのやさしいことばは、天をもひっくり返す力を持っていることを学びなさい、とのお示しです。「ほめる」ことは愛語の一種です。「ほめる」ことによって、周囲の人々も変わるのでしょうが、一番変わるのは自分自身です。自分の見方が劇的に変わるのです。これが「廻天の力」です。
いついかなる状況でも、前向きの見方があなたを「幸せ」に導いてくれることでしょう。
お盆が近づいて参りました。「幸せに暮らしているよ」とご先祖様に報告できるように、毎日他人を「ほめ」て、明るく日送りをしたいものです。
平成18年8月1日記
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